歩く道

数年ぶりの寒波襲来。低温。大雪と報じられて市内は白く覆われ、早朝から雪かきをする人が汗を流している。短い日中の陽差しで溶けて滑った塊が屋根からどたっと落ちる。記憶の中では、本来この土地はこうだった。元に戻ったような気がしている。河原も道にもスキーの跡が残り、凍り付いて白く光る路面を竹スキーで登校していた。現在は車様という人間の移動が主となった都市構造に成り果てたので、こうして雪が積もれば人の歩む道がない。もっと積もって車自体の使用が不可能となり、でこぼこの道を足で踏み固めつつ歩む人の姿を浮かべた。

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形象の把握

場所の徘徊反復によって、歩行に対面する凹凸だけの知覚から、それぞれの成り立ちを知るようになり、場所の構造が歩みに加わる。歩行による場所の把握とまでは、厳密にはいかないが、確かに知覚の変化がある。階段も曲がる路地も、それらを形成する大きな形態や理由が、家々だったり、点で繋がる交差の信号が飛び石のような符号だったり、記憶のつながりによって、見えない「向こう側」を今ここに瞬間的に統合した知覚で、繰り返し眺めている景色が変異してくる。
同時に時刻による気象の変化、光線の加減や、音響によって、その変異に対する態度のようなもの、カラダの傾きの差異によるみつめの位置や、とりつく嶌のような知覚の働きかけに、思いがけない変化が起きて、どうしてあの時はみえなかったか。不思議に思うほど、見えてくることがあるものだ。

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walking tree

歩く木は光を求め、1年間で十数センチ動く。影の根は腐る。

森がこちらの歩みとシンクロして動くざわめき、枝の折れる音、獣たちの移動の気配、などを、風呂の中、腫れた瞼を湯に浸しつつ想像していた。
「歩く木」という言葉が先だった。みたこともない、実際のジャングルのウォーキングパームの詳細はどうでもよかった。モンスーンの気象の中の、この弓形の、鬱蒼とした湿度の中、植生の動きと歩む妄想は、風呂場の水の反響音の微分によって道を与えられた。果ての無い過去の、例えば、芭蕉と曾良の歩行の距離や、落人らのその日暮らしの逃走の切迫が谷と森と川の急流で、手のひらの上のぼた餅のごとくに薄笑いを含んで変容していく吐息、狩人の目の前に広がる馴染みの白銀の斜面、手元に立ち上がる毟った毛皮の内側の血臭の湯気の中、動く数を数えてこれでやめようと穂先の毒を拭き取る穏やかな表情や。

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冬の朝

軽井沢には朝早く着きたかった。快晴で、くっきりとした浅間山も大気が澄んでいて、どこか異様だった。
こんな場所だったかしら。記憶に儚いような白糸の滝まで車を走らせ、路肩の雪などに驚きつつ、葉の落ちた枝々の重なった谷の奥行きに三脚を立てカメラを向けたのはいいけれど、時空のなにか。季節の何か。人間など全く関われない何かによって、自分が、ここまできて、さて何をしようとしているのかわからない。人気のあるほうが余程気楽。

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15 years

長いのかまだ足りないのかわからないが、1995年に、1993年から3年間の結構な量のポジをビデオスキャンして、当時は60min / 8mmビデオテープ3本にまとめたものに、ethical gazerとタイトルをつけ、BGMは当時聴いていた流行の楽曲ををランダムに呑気に並べていた。プライベートな整理であったけれども、同時にポジやモノクロームのコンタクトプリントを、色紙とともにスケッチブックに切り並べていた。まだ画布に向かっていた頃で、撮影を恢復歩行と呼びその整理も画布のこのひとつという緊縛(あるいは享楽)から離れるための方法としていた。
カメラを持って八王子の林の中に入り、あるいは秋川渓谷や多摩川で枝や石ころを並べて撮影をはじめたのは1986年で、撮影自体も稚拙なもので、途中で投げ出して、淵の中に飛び込んで渓谷を泳ぎ潜る爽快さが撮影等簡単に忘れさせた。撮影は、行為のあるいは出来事の単なる記録でしかなかった。
インスタレーションやオブジェの撮影は、友人のスエツグに一切を頼み任せて、こちらはペンタックスの一眼レフに35mmをつけて欧州を回った時のまま、レンズひとつ買い足すことなど頭に浮かばなかった。ビデオやら映像に感けていた。渓流に尻をだして糞を垂らすシーンを後輩に撮影させたものが残っている。お前は馬鹿だなと自身へ突っ込みながら、あの若いヤンチャさが眩しくなりはじめた。
1998年の画布と写真との併置が画布手法との決別となった。自らのさまざまな状況、環境の変化から思想手法を切り詰める必要があり、余計あるいは不可能な要素の消去削除を繰り返した結果、ほとんどのフィルムカメラは手放し、当時は脇に置いたような副産物的な癒しの意味合いが強かった15年前と同じ手法を今デジタルで反芻している。
67や66の中型ポジの鮮明さは、今となっても簡単にデジタルに変換できない。映像は、ノイジーなテープからデジタルデータへ変わり、編集や保存も楽にはなった。デジタルデータを扱うほど、フィルムへ回帰したくなる気持ちが膨れているが、手法としてフィルムではボリューム不足になる。なにせ砂山に枝で掘った溝に、バケツの水を流して遊んだあの「流れ」のようなことを繰り返しているわけだ。
紆余曲折の時間を渡って、少しはなんとかそれなりの体裁を整えることができたかと手元を見れば、オリジナル音響を加えた程度で、並ぶ光景は、やはり言いようの無い途方に暮れるものばかり。デジタルの恩恵は、フィルム現像とプリントという手間と経費を飛び越えて、好きなだけシャッターを切れることにある。とここで、もっともっとと、得体の知れない何かに背後から肩を押されるのだわ。