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パラレルワールド

 量子論から超弦理論が、並行世界、並行宇宙、並行時空の妄想をかき立てることもある。SF妄想に遊ぶより先に、今節の我々は既に、「私」各々が個別世界なのであって、例えば、インターネットを使う人びとと、TV放映を眺める人びとは、パラレルに見事にずれた平行世界を生きていると思う事が屡々在る。更に世代や性情傾向、右か左かなど立ち位置や所属を細分化してみれば、益々そのパラレルのズレ、差異、平行の距離は広がり、普遍から落ち込んだ意識構造そのものが、相容れない傲慢な自立性を他へ無理矢理放射しているようにも感じる。溢れる情報の選択からはじまったかもしれないこうした立ち位置は、やがて確信犯的に情報廃棄とそれ自体を嫌悪する場合もあるだろう。

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父親の名と族系幅

 血液検査の必要があった施設入所中の母親を搬送する車内で、私にとっての曾祖父のことを尋ねると、母親は曾祖父の名は即座に口にしたが、曾祖母の名を失念していた。高祖父母などほとんど知らないようだった。どの家族でも同じように、子は母方の系への馴染みが深いもので、父方は祖父高齢での五人兄妹末っ子であったため、私は産まれたてで白い髭に触った記憶がぼんやりある程度で、そもそも父方の実家はあれこれあって破綻離散している。戦前戦中までは、かなりの豪農で、長兄は人力車で学舎に通ったと父親が話してくれたことがあり、父親とは十五歳の離れた祖父が亡くなる前から父親代わりの長兄伯父によって、私は命名された。祖父は、後先考えず国の勝利を確信し田畑を国へ惜しみなく提供し、大本営設立にも関与していたらしかった。長兄と次男の伯父は、戦争に出兵したが、死なない部署に配属され無事に帰国しているが、長兄は撃たれて金玉を失い子のできぬ軀となって実家を継ぐ事を辞退した。父親が十代の頃大病で入院していた際に、地域ではトップの肩書きを持つ軍人がほんの子供の見舞いに訪れ、周囲を驚かせという。私が八王子の大学に通いはじめて、西八王子にある造形美術という画材店主の正村氏から、お前静の息子かと、もともとぎょろっとしている目玉をさらに大きくして迫られたことがあり、後に酒を交わしながら、まだ十代の学生風情の父親に世話になったと話してくれた。これを父親に話すと、あまり憶えていないが、まだ父親の実家は体力があり、米もあったから、それを渡したことがあったかもしれないと答えた。

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宮澤賢治

ー「小さな谷川の底を写した二枚の幻燈」を説明する口上といった形式で、小品「やまなし」が岩手毎日新聞に発表されたのは、大正十ニ年(1923年)四月八日 ー 偶然の一致かどうか、降誕会である ー だから、時あたかも映画の黎明期に当たっている。一歩しりぞいて幻燈と名のっているけれども、作品の内容はとても一枚の静止した画面につくせるものではない。泡が流れ、光と影がゆらめき、魚が泳ぎ、かわせみが飛びこみ、樺の花びらがすべる。これは映画でなければ表現できない素材である。日本ではまだ海のものとも、山のものとも知れぬ新芸術・活動写真の可能性について、作者が熱い心を寄せているのは明白ではなかろうか。それは大正十五年(1926年)に書かれた「農民芸術概論綱要」に、「(光象の)複合により劇と歌劇と 有声活動写真をつくる」とあることからも察せられる。

 もし自分が監督して映画をつくるとすれば、さしあたり何を撮ろうかと、二十六歳の青年は夢想したにちがいない。大平原を疾走する馬の群といった極大にちかい風景よりも、むしろ極小の場面に心がかたむく。小動物の生活領域を細密に写すことができたら、どれも興味津々たる作品になることは保証つきだ。しかし、蜂や蟻の巣穴のような<内部>をどうしたら撮影できるだろう。そこは人間の眼のとどかぬ闇であり、真のドラマはそこで生起しているにきまっている。では写真機をそこへ到達させればよいのか。写真機が人工のものである限り、それがとどいたとき闇のなかで起こるのは恐怖にもとづく混乱ではあるまいか。小さな闇に衝撃を与えることなく、<内部>を見まわすことのできる<眼>がほしい。

 このように考えた作者は、<内部>にさしむけられるカメラが生き物の小さな眼であれば不都合はないはずと、あれこれ選ぶうちにサワガニのこどもにたどりついたのであろう。それなら<内部>はおのずから定まる。春の雪どけ水は、梅雨どきのように赤茶けてはいないが、錆色をしている。水量が豊かで流れがはげしいから、外光をじゅうぶん通さないために、このカニの目玉の水中カメラからすると、下から上を見あげた天井にあたる場所はすりガラスのようにぼんやり光っている。そこへ泡が流れてきたら、底面はその部分だけ暗くなる。日光が弱いときは泡の影は川底に投影されないが、ある強さに達すると、天井の泡の底部はより黒くなり、そこから円柱状の影がのび、光がさらに強くなれば川底にまでとどいて、影が砂をすべる。そして左右の視界は、川上も川下もある距離で遮断され、あたり一帯錆色のカーテンがゆれているだろう。

 この、ある柔らかさで区切られた四角な空間は、どこかカメラの暗箱みたいな感じである。カメラの内蔵に小さなカメラがはいって動いている。カニが一匹しかいなければ、カニの目玉は自分自身を写すことができないが、二匹いれば、おたがいのフィルムを複合することによって自分の姿も見ることができる。ムーヴィング・ピクチュアなどと言ってさわいでいるけれども、そもそも映画の真髄はこのように<想定された自然の眼>であり、またそのような<眼と眼の対話>であるべきではないか ー といった作者の主張が聞こえてくる気がする。もしかすると、ここには「カリガリ博士」の表現主義も「鉄路の白薔薇」の心理描写も、またエイゼンシュテインのモンタージュ理論も、映画草創期の気負いのすべてが愛らしく詰めあわされていると言ってよいのかもしれない。

 それと言うのも作者が、映像の核心は<影の流れ>であるという確信を端的に追求しいるからである。水の天井と中層と川底と、光の強さによって点滅する三種類の影があり、それらは一様にある方向へ流れてやまない。この光景をカニの眼となって眺めることは、作者にとっていささかも疑う余地のない涅槃の現前であるために、その姿勢はどこまでもゆったりと不動である。ー

「やまなし考」/「賢治初期童話考」谷川雁 より抜粋

家族

 半年ぶりに長女が息子と娘をつれて遊びにくるので、少々長い滞在になっても構わないように片付けをすることが、実は日常のある種の没頭に任せて鬱積していた澱みのようなものを払拭する機会になる。長女の遊びという軽さの遠出には、感染事案で身動きがとれなくなった海外勤務中の夫の数ヶ月に渡る家庭内不在が色濃くあって、産まれて一年に満たない孫娘と保育園に行けずに妹との付き合いを模索するまだ幼い三歳児の孫息子と三人でやりくりする新米母親として生活疲弊もある長女が、山に来れば多少は癒されることもあるだろうと、丁度感染の自粛ムードが緩和された時だったから、即座に来なさいと応えていた。

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お茶

 今年に限って、冬から春にかけて、煎茶の袋を三つ四つ空にするほど、珈琲ではなく、お茶ばかりを飲んでいた。

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