家族

 半年ぶりに長女が息子と娘をつれて遊びにくるので、少々長い滞在になっても構わないように片付けをすることが、実は日常のある種の没頭に任せて鬱積していた澱みのようなものを払拭する機会になる。長女の遊びという軽さの遠出には、感染事案で身動きがとれなくなった海外勤務中の夫の数ヶ月に渡る家庭内不在が色濃くあって、産まれて一年に満たない孫娘と保育園に行けずに妹との付き合いを模索するまだ幼い三歳児の孫息子と三人でやりくりする新米母親として生活疲弊もある長女が、山に来れば多少は癒されることもあるだろうと、丁度感染の自粛ムードが緩和された時だったから、即座に来なさいと応えていた。

 日頃離れて過ごしている家族だが、昨今の便利なデバイスを使って気軽なやり取りは必要に応じてあり、流石に首都直下型地震などへの不安には眉をひそめて、避難経路を確認しろよと、普段の明るい口上の影に必ず訝しさの残滓はある。嫁にいった娘であるからいちいち都度老人がしゃしゃり出ることは控えていることを、おそらく娘自体も好ましく思っていてくれている。

 個々が点在して距離を置く私の家族の配置には、そもそも昭和三十年代に横行した、長女と末っ子両親のポスト大家族ー核家族化の時点で、構造的に示唆されていたように思われる。父親の家を継ぐ話もあったと話す母親は、農家を継ぐことを望んでいなかったと聞けば今でも話してくれる。父親の上に並ぶ姉たちが姑となって家の外から「継ぐべき家」の仕立てを抑圧するのは、それまでの三世代同居の家族にて嫁という外部因子を飼いならす系譜から当然のことであり、またそれを突っぱねた母親の意固地さも時代の意識として特異なものではなかった。但し、同時期のアメリカンニューファミリーのヴィジョンへ、そのまま心までを投影できなかったことは、彼らの倹しいせいぜい3〜5人家族をこしらえた新興住宅地だった場所が現在は過疎化して、空き家ばかりとなっていることが顕著にこれを示している。事実、母親は息子家族との同居など端から考えていなかった。

 家族という寄り添いが互いを見つめて理解し信頼を継続するという幻想は、つまり、核家族化という時点で破綻していながら、家族の形式(フォーマット)の類型が数多重ねられた大きな理由は、公務と民間というふたつの軸のみの似たような就労の仕組みにある。最近は余程の予定調和に乗らない限り、父母の共稼ぎが主流であるというのも頷ける。余計なしがらみを嫌った単身貴族の家族構築の放棄も然り。けだし分散核家族の系譜に則れば、家長が男親である理由もない。育てた子供が自立すればその時点で、いずれかが占有する財布に片方が従う理由もない。感染による自宅待機によって家族が近寄りすぎたのか、DVが発生したというニュースを眺めて、反射的に遊動民の生活記録を探り、ホーミーの唸りや三味線の波動に、彼らの家族を群生植物のような静かさで感じていた。

 少子化という大きな潮流の中で、どういうわけかわたしの感知幅には、二人、三人、四人と、多産の若い家族があって、子供が多いだけ生活は大変だろうが、幸せの重さ、生活の価値(大げさにいうと高貴さ)が、なんとか生存する労苦への報酬のように与えられているように感じられる。中には当然時には互いの世話を合理等価依存する三世代同居が、近代の形式とは異なった必然で成立していることは、昭和、平成、令和の曲折から導いた、退行再生ではない新たな家族の距離の構築の仕方と眺められる。