長いのかまだ足りないのかわからないが、1995年に、1993年から3年間の結構な量のポジをビデオスキャンして、当時は60min / 8mmビデオテープ3本にまとめたものに、ethical gazerとタイトルをつけ、BGMは当時聴いていた流行の楽曲ををランダムに呑気に並べていた。プライベートな整理であったけれども、同時にポジやモノクロームのコンタクトプリントを、色紙とともにスケッチブックに切り並べていた。まだ画布に向かっていた頃で、撮影を恢復歩行と呼びその整理も画布のこのひとつという緊縛(あるいは享楽)から離れるための方法としていた。
カメラを持って八王子の林の中に入り、あるいは秋川渓谷や多摩川で枝や石ころを並べて撮影をはじめたのは1986年で、撮影自体も稚拙なもので、途中で投げ出して、淵の中に飛び込んで渓谷を泳ぎ潜る爽快さが撮影等簡単に忘れさせた。撮影は、行為のあるいは出来事の単なる記録でしかなかった。
インスタレーションやオブジェの撮影は、友人のスエツグに一切を頼み任せて、こちらはペンタックスの一眼レフに35mmをつけて欧州を回った時のまま、レンズひとつ買い足すことなど頭に浮かばなかった。ビデオやら映像に感けていた。渓流に尻をだして糞を垂らすシーンを後輩に撮影させたものが残っている。お前は馬鹿だなと自身へ突っ込みながら、あの若いヤンチャさが眩しくなりはじめた。
1998年の画布と写真との併置が画布手法との決別となった。自らのさまざまな状況、環境の変化から思想手法を切り詰める必要があり、余計あるいは不可能な要素の消去削除を繰り返した結果、ほとんどのフィルムカメラは手放し、当時は脇に置いたような副産物的な癒しの意味合いが強かった15年前と同じ手法を今デジタルで反芻している。
67や66の中型ポジの鮮明さは、今となっても簡単にデジタルに変換できない。映像は、ノイジーなテープからデジタルデータへ変わり、編集や保存も楽にはなった。デジタルデータを扱うほど、フィルムへ回帰したくなる気持ちが膨れているが、手法としてフィルムではボリューム不足になる。なにせ砂山に枝で掘った溝に、バケツの水を流して遊んだあの「流れ」のようなことを繰り返しているわけだ。
紆余曲折の時間を渡って、少しはなんとかそれなりの体裁を整えることができたかと手元を見れば、オリジナル音響を加えた程度で、並ぶ光景は、やはり言いようの無い途方に暮れるものばかり。デジタルの恩恵は、フィルム現像とプリントという手間と経費を飛び越えて、好きなだけシャッターを切れることにある。とここで、もっともっとと、得体の知れない何かに背後から肩を押されるのだわ。