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指先という距離

「外」に出ることが探索やシフトのチェンジあるいは他の動機に促された目的に従属した移動ではなく、日々という振る舞いの一部に溶けてきたように思う歩みとなり、その路往き自体が生としての軀において矛盾無く代謝され、伴う知覚も生存という核を疑いないものとして周回する惑星軌道に落ち着きそれぞれがそれぞれの無理のない位置感でわずかに揺れるように照応する。個人的なことだ。

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歩く記憶

目にみえるものは過ぎ去った事ごと。つまり痕跡という過去であるにも関わらず歩くみつめの内で過去が今に捕われ途端に未来を輝かせるのはいかにも人間的だと冬枯れの路呑気に歩みを進める。

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横臥景の脇にて

道は北東へみつめの先は西から西南へ回しこの三つの奇妙な連山と隙間に隆起した戸隠を車を降りてしげしげとまた眺めたのは、数日前千曲更埴の姨捨の手前あたりから遠くくっきり眺められた時なるほど高いと地形地勢を再認識したからかもしれないが、それにしても視線の起点の位置によってこれほど理解を変容させる力が生まれる。

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季節の遅れ

書いた物を振り返ると昨年の十月二十日過ぎには針葉樹の落葉をかきあつめているので今年は二週間は遅れていることになる。と腰を曲げて落葉を集めるが早朝降った雨で湿っているので陽光に曝されて乾くのを待つかとも思った。

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二度目

この高原の秋を過ごすのは二度目となったが光や大気の様子はむしろ一度目よりも克明さをつきつけるようなところがあり、鮮明さに怯むほどだと、これも慣れていい筈の夕刻の小径で、立ち尽くすばかり。

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