歩行の身体が刻々と纏う感応は抱えた網からどろどろ漏れるようなもので、気象や事象に左右される体調と気分なども、掌に残った残滓をじっと堪えるようにみつめる誠実さを持ち合わせていない。
関係の罠、あるいは観念の呪縛からなかなか簡単には自由になれないが、拘束の身に生まれるのは、探索という欲動に近い衝動であり、残された唯一の可能性であるといっていい。この探索が新たな罠と呪縛を呼び込むメビウスの環とならぬ工夫こそが、つまり、感応の諸々を都度ほとんど喪失する稚拙な歩行であり、探索を振り返る立ち止まりに生じる「眺め」の、鉱石の荒野、埋もれた事象が所々その一部を表出させている砂漠、いわば過去形の探索の海だ。
罠も呪縛も浅薄な目的に、始まりから未来まで支配され、その言葉の中で既に終了している。ひとつの静止状態を、固有な観念、あるいは固有な音響に結ぶことは、罠を構築することに似ているので危うい。同じように、散乱併置された出来事は、時間的文脈の内在する性質(これは関係ではない)によって、時間経過と共に深みを蓄積させるので、アフレコのような翻訳的関連性を与えること自体間違っている。
無関係に散乱した探索の海は、他者性の世界として、自己と無関係に在る、あるいは在ったわけではない。探索の海を構想(イメージ)しないかぎり、その時に力学的矛盾を孕む光景は、欲動される感応と振り返りの眺めの中で、時間経過を超越する意識の気概を形成できない。
だから偶然と閃きの断片を振り返る立ち止まりを促す歩行を、身体的にのみ持続することが肝心で、歩行のシステム化、観念化は、立ち止まらないマラソンとなってしまう場合もある。
この歩行が、唐詩の漢文の併置となんと似ているのだろうと、朝方放心していた。
カメラを持たずに徘徊したのは、何時降り出すかわからない梅雨の季節となったせいもあり、手ぶらの歩行が考えたよりも身軽で開放感に充ちたからでもあり、私鉄沿線の降りたことのない駅から地図も見ないで気侭に辻に誘われることが、それだけでなにがしらの新しいような充足が溢れたからでもあったけれども、ああ、それじゃあ此処に、カメラを持ってもう一度来てみようとかいった、当初の計画は全て潰れたような気分となった。この気分は悪いものではない。結局観光に似ているかしらとか、何か旨いものを喰わせる店はないかといった、別段目的を持ったわけでもない。記憶からすぐに消えてしまうような凡庸な徘徊にすぎなかったけれども、その反復からみえてくるものがある。
対象、イコンといったような、目の前に対峙する出来事には興味はとことん失せたことに気づいた。時間と移動における環境空間のいわば「奥行き」のような「路」あるいは、その行方の陰影、初めて見る、土地での人の形、といった眺めの角度、あるいは、高揚するわけでなく水平に広がる風なみつめる気分の良さ、などといった、なんとも稚拙な修学旅行に訪れた地方都市の学生のようにきょとんとした目を持って歩いた。
手間のかかる表象化の地道な作業の隙間の徘徊だからだったかもしれない。本来的にこうした無限反復が本性を貫いているなと、飽きもせずに淡々と行うこと自体から、糸を縒るように、観念から切り離された距離感のある瑞々しい言葉が立ち上がることがあり、意味など遠くに放って曲がり角で呟いたりするのだった。
この都市は、狭い空間ではないし、時間経過による変化も激しいので、過去も現在に埋め込まれたまま放置されてある。さすがに立川より西には踏み込めなかったが、梅雨明けには未来からのトラベラーのつもりで八王子に降りてみようと思うのだった。
荒川ではスケッチブックを持ってデートをした、輪郭すら失せていた記憶が新鮮に蘇り、いささか困惑し、五反田の知らない男の部屋で朝早く二日酔いのまま覚醒したあの時の、その前夜の詳細も浮かび、来た事がない筈の喫茶店でキース・ジャレットのケルンコンサートが流れたので、若くして病死した先輩の位牌の横に座る妹さんと、彼の声と笑顔が昨日会った人のもののように浮かぶのだった。
最近は、宵の口迄もつれ込んだ錯綜を更に深夜に引きずり込んで強引な執拗、頓着をごり押しすることをやめて、早朝から昼前にかけて雑多業務を含む所謂精神活動を行うのが調子がよろしい。午後は奈落へ滑り落ちる感覚が若干あり、どちらかというと、処理遅延する感覚とのズレを、PCに任せて(とはいっても、その処理の仕上がりをいちいちつまらなく気にしながら)、大雑把な別へ手を染めるのが常となった。
一昔前の、今からみればかわいいエンジンの処理速度が、当時の精神のスピードに照応していたわけではないが、そういった認識の重なりの世界に慣れていなかった分、好奇心や、その見慣れぬ世界への俯瞰の印象が、稚拙なテクノロジーに不満を訴え、こういう手法自体を捨て去る衝動には結びつかなかった。
数千倍、数万倍といわれるデータの処理が可能となったけれども、日々新たに開発されるエンジンの処理速度の実感は、呆れるほど明瞭な差異に満ちており、あの時苦労して手に入れたエンジンが、こんなにも短命に心細いものとなると、何かテクノロジー自体、データ処理という必要は悪しき物であり、悪夢の中に居ると幾度も思う。
道具を使う側が、いつの間にか、道具に振り回されているこうした流れは、妙な精神的孤立感を生み、精神などとうに失った非生物的なジレンマの回路を、時に甘く演出し、生の時空を喪失しているとも考えられる。
テクノロジーありきの、その機能如何の遅延効果に寄り添うのは、移動の為に速度を得る事も同じであり、高価なレンズの集める光に従うのも同じであり、つまり、それらのテクノロジーがなければ、従う世界は現れないのだから、遠くから眺めれば不燃物を日々抱え込んでいる無知蒙昧な喧しい生物となるのだろう。
幾つかの単焦点レンズテストを三年程かけてゆっくり行うことが先頭にあったわけではないが、歩いて行い、歩行を促された恩恵はある。この歩行は、レンズがなければなかったかと問えば、もう二十年もそうしている理由ではないと答えるしかない。幾つかのこちらの生の結節点にレンズテクノロジーが関与したことは認めるけれども、反復を可能にしたことはテクノロジーではなく、その結果へ投じた眺めの数の印象であり、時間とともに蓄積した印象の束は、テクノロジーを促す指向よりも、歩行自体の質を問う性格へ変容している。
指を握り、キーを押す反射機能の、必ず遅延する苛立ちが、より軽量コンパクトで簡単なインターフェイスの考案に矛盾無くまっすぐ繋がり夢中となっている表象の裏側で、人間が動く生物である限り、ボタンを押してから遅延してアラーム音を確認し、遅れて扉が開くエレベーターに乗る日常の外の、荒野の中に身を潜めて狩りをする気配を押し殺した緊迫へ、歩み出す気概が頭を擡げることは、なんらおかしなパッションではなく、むしろ先鋭な現代的な生物衝動とはいえないか。
「この貝殻は何か」を浜辺で考えなかった人間は、死ぬまで抽象と無縁であり、「この貝殻は美しい」と感じた人間は、言葉や絵画や写真でその印象を残そうとしたけれども、同様に抽象には触れることはできない。これがまず彼岸である。
「土地」の抽象を考えるに、「場所」とは幾分違った、養分の、脳髄まで垂直に立ち上がる気配の加減が、つまり視線の届く先という力。同時に跳ね返され、殴られるかもしれない排他を堪えるところまで、「土地」は、人間と凛然と決別しながらも、累々とした人間を下敷きに形成される。「場所」は固有名に従う。
本来、無神経で、KYな世界として、実は、隣人が存在するように、土地は在り、その土地の供え物として、肖像が、あるいは群像が在る。だから、その土地は、固有でありながら、普遍を纏って、時空の蔑みを受け持つ寛容に耐えるというより、慣れて、土地らしさを増す。
歩きながら、土地の此処と其処へ巡る思惟は、ある種明快な、思索の撓みを露にする。
ここで記述する日本語としての、土地と場所の歴然とした差異は、抽象表象されるしかない。その基幹は、既に漢字に表象されるものであり、それ以外ではない。
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土地(とち)とは、一般的には地表が恒常的に水で覆われていない陸地のうち、一定の範囲の地面にその地中、空中を包合させたものをいう。なお、河川や湖沼などの陸地に隣接する水域も含むことがある。地中の土砂、岩石等は土地の構成部分にあたる。
ーwiki
屋根が、天井があったかどうかわからない。床は草の生えた地面だが、誰もそれが不自然であると思ってはいなかった。西側の壁は石でできており、そこに3メートル四方で、おそらく黒い炭化ケイ素の粒子が塗り付けられている。知っている友人が途中だがと振り返って、中央が塗り残された壁面を指差したが、こちらはここに塗りつけろと指図した憶えがなかった。
庭の部屋の中央に、南から北にむけて古ぼけたもの干し竿のようなものがあり、それをまず取り外した。それから雑草を毟り、半分土に埋もれたテラコッタの鉢を取り出し、壁の内側を片付ける。どうやら、ここが展示会場であるらしかった。
友人の塗り付けた壁面の炭化ケイ素を、これはやめると鉄ベラを使って削ぎ落としはじめると、シャンパングラスを片手にした見知らぬ人が、ドアを開けて次々に入ってくる。ふたたび地面を見下ろして、どうにもできない岩もあったが、何もなくなったことに、とにかくほっとしていた。
肉体から汗が流れ上腕が痺れたようだった。誰かに汚れたものを着替えるように促され、ドアの向こう側に連れ出されるとそこは、いたって通常の、空調が効いた建築物で天井も照明もあり、床も固い水平面に人の姿が映り込むように磨かれている。ここで振り返りあの庭の部屋だけが、異様な恣意の空間だ。どうやらヨーロッパのどこかのミュージアムだと、記憶を喪失したことに馴染みがあるような気楽さで気づいた。