屋根が、天井があったかどうかわからない。床は草の生えた地面だが、誰もそれが不自然であると思ってはいなかった。西側の壁は石でできており、そこに3メートル四方で、おそらく黒い炭化ケイ素の粒子が塗り付けられている。知っている友人が途中だがと振り返って、中央が塗り残された壁面を指差したが、こちらはここに塗りつけろと指図した憶えがなかった。
庭の部屋の中央に、南から北にむけて古ぼけたもの干し竿のようなものがあり、それをまず取り外した。それから雑草を毟り、半分土に埋もれたテラコッタの鉢を取り出し、壁の内側を片付ける。どうやら、ここが展示会場であるらしかった。
友人の塗り付けた壁面の炭化ケイ素を、これはやめると鉄ベラを使って削ぎ落としはじめると、シャンパングラスを片手にした見知らぬ人が、ドアを開けて次々に入ってくる。ふたたび地面を見下ろして、どうにもできない岩もあったが、何もなくなったことに、とにかくほっとしていた。
肉体から汗が流れ上腕が痺れたようだった。誰かに汚れたものを着替えるように促され、ドアの向こう側に連れ出されるとそこは、いたって通常の、空調が効いた建築物で天井も照明もあり、床も固い水平面に人の姿が映り込むように磨かれている。ここで振り返りあの庭の部屋だけが、異様な恣意の空間だ。どうやらヨーロッパのどこかのミュージアムだと、記憶を喪失したことに馴染みがあるような気楽さで気づいた。