土地

 「この貝殻は何か」を浜辺で考えなかった人間は、死ぬまで抽象と無縁であり、「この貝殻は美しい」と感じた人間は、言葉や絵画や写真でその印象を残そうとしたけれども、同様に抽象には触れることはできない。これがまず彼岸である。
 「土地」の抽象を考えるに、「場所」とは幾分違った、養分の、脳髄まで垂直に立ち上がる気配の加減が、つまり視線の届く先という力。同時に跳ね返され、殴られるかもしれない排他を堪えるところまで、「土地」は、人間と凛然と決別しながらも、累々とした人間を下敷きに形成される。「場所」は固有名に従う。
 本来、無神経で、KYな世界として、実は、隣人が存在するように、土地は在り、その土地の供え物として、肖像が、あるいは群像が在る。だから、その土地は、固有でありながら、普遍を纏って、時空の蔑みを受け持つ寛容に耐えるというより、慣れて、土地らしさを増す。
 歩きながら、土地の此処と其処へ巡る思惟は、ある種明快な、思索の撓みを露にする。
 ここで記述する日本語としての、土地と場所の歴然とした差異は、抽象表象されるしかない。その基幹は、既に漢字に表象されるものであり、それ以外ではない。

土地(とち)とは、一般的には地表が恒常的に水で覆われていない陸地のうち、一定の範囲の地面にその地中、空中を包合させたものをいう。なお、河川や湖沼などの陸地に隣接する水域も含むことがある。地中の土砂、岩石等は土地の構成部分にあたる。
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