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rhyme trace 「韻痕」の逆説

 材(紙、木炭)の系譜的親和性(安易性)は、とりつき反復する容易さと、粒子を扱う自らの文脈から選ばれた。特に必要と思われたのは、某らへの構造基底となる転位を前提とした段階的な位置づけではなく、それ自体で完結し短い作業過程で反復に耐える構造であることだったから、表出が鍛錬じみたものであっても構わなかったし、むしろそれがこの作業の時間論となると弁えた。

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場所の光

 北から南まで刑務所を渡り歩く仕事をしていた時に、はじめて訪れる場所がほとんどだったから、余計に時間をとって撮影しながら歩き回っていた。その前には、指先の没頭から逃れる、解放されることを期待して、中型の重い機器を担いで、田畑や街の裏側をのっそり歩いていた。旅に出てカメラを覗いて歩き回ることが身に染み付いた行為であるので、こちらはその癖を繰り返すばかりだが、同行者はその歩みに終着点やらの目的が明快に無いと辛いものらしい。立ち止まってシャッターを押すと、なんでこんな場所を撮影するのか、怪訝な顔つきをされるけれども、説明するほどのこともない。ただこの癖は、現実の再現認識という現像であるから、場所の出会いを反復することとなり、見逃してよいものを見逃さず、余計な現実を現実として捉えるようになり、そもそもの出会いの新鮮を打ち消す効果もあるから厄介ではある。

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棚からはじまっていた

 思いかえせば4年前の「311」から一ヶ月後の春に、写真作品の「額装」から「棚」へ展開している。

042011 wall plan >>

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愚図の時間論

 気温が上がり路面のアスファルトが顔を出しグリップが心地よいので加速し車を走らせて長女の忘れた手袋を宅配で送付してから蕎麦を喰いに回って戻る。池の淵に立って鯉に餌を投げる。盆栽を剪定し水を差す。あるいは縁側に座り込んで爪を切る。・・・のようなことだなと愚痴るでもなく端材の組み立ての続きを行っている最中に、ふとこの過ごし方に言わば制作の時間論があると気づく。

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暴虐から礼節の次

 時の進行がわからなくなるので映画や気象情報を垂れ流した横で作業をしている。乱暴から入ったとも云えるが、作業自体が礼節となって洗練するのは、詭弁と感じられることもある。だがいずれにしろ、入りも過程も問題ではない。作業自体が通過儀礼と固まった時から、別の入口がみえている。

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