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折半の恩恵

 一枚の写真画像から気づかされることがある。
 対象(被写体)を捉える(あるいは捉えない) ー ファインダーを覗く ー 絞り露出を与える ー シャッターを押す ー 現像する ー
と云う流れで、デジタル撮影した画像が顕現するわけだが、性癖的なものだろか、振り返るようにして、この撮影の五分割された過程に、心情的、感覚的、恣意的な差異があるのかどうかを考えると、そろそろ最早、均等にこちらが配分されている。

 行程の節々で、可能性の分岐があり、都度の決定を与えるけれども、どれが一等重要というほどのこともない。撮影機を手にして画像が具体化する行為構造が、部分毎に折半されることでむしろ、行為者の率直が具体化するというわけだ。

 

色繊維

 発芽のこの時節森を歩き眺めると、繊毛の細さの色帯が空間の余白を埋めようとするかに上下左右に発生し、まさかこの身もと掌や腕をまくって何か立ち上がるのかと見つめてしまうほどだ。街の計画配置された群生の色の塊ではなく、一斉に緩んで綻ぶ空間は、一年の中でも、特別な一時であると感じさせる。色彩の感得も表出に関わることも苦手であると身をひとつ退いてきたようなわたしが陳ねた風なモノトーンで撮影した画像を撮影しても、繊毛の生成の呻きは確かに記録されている。内側へ硬化し零下の凍結に耐えた地も樹肌も大気に呼気を吹き出し交えて生命の道筋を幾重にも伸ばす中を行けば、こちらもその影響下にあると判る。いつだったか描写訓練の時期友人が観察対象の輪郭にさまざまな色彩の光線がみえるとそれを再現していたが、当時わたしにはそこまでみつめる観察の能力は無く観念で手元を照らしてばかりだった。いずれがよろしいという態度の善し悪しではなく、大きく時空を跨いで織りなすように世界を感じるのだと、今となっては振り返ることができる。
 
 

湾岸から

 音響創作を東京湾岸のオフィスではじめたのは、DTM構築環境が簡単になったこととデジタル系の仕事がそれを必要としたわけだったが、そもそも音楽(楽曲)ではなく音響(空間)への関心を持続していたことがある。目を凝らすことと同様に耳を澄ますことは私にとっては世界探索の手法として性に合っていたし観察や書物を捲るより別なことに気づく経験があり思いがけない認識が訪れることが少なくなかった。オフィスはスピーカーを使えない雑居ビルであったから様々なタイプのヘッドフォンを試しながら外部から断絶した音像景をビーカーの中のアルコール漬けを扱うように稚拙にはじめていた。勝鬨の舳先は荷揚げされた海産物の加工工場が建ち並び週末を除いた昼夜問わず酷く五月蝿かった。都市での車の必要の無い日々はとにかく只管歩く。交通網が繁茂している空間でその隙間つなぎを歩く時間は随分長かった。業務の隙間をぬってカメラを持ち且つ採録をしながら歩き回ることは、殊更意識したわけではなかったが、私にとっては環境で生き続けるには必要なこととなっていった。

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過去という未来の予感

 9年前の2007年にメモリーズという写真の纏めを行って、14年の歳月(構想の発端を入れれば19年ほどか)を投入したプルーストを浮かべながら、「私」という成立史を記憶を辿って織り直す手法に、写真の記録性を重ねて、過去であるが現在において視覚的に示唆する機能性を見出すような立ち位置を確認していた。以降言説的なものも写真も同じような影響下にありつづけ、環境を明快に転位させたここ数年加速するように、過去を現在へ取り戻すような仕草(反芻)が顕著となっている。
 記憶が過去の断面を鮮やかにする時、「あの時ああでなかったら」という不可能となった消えた未来の枝行きの、折れ遺った枝の根、瘤のようなものが見つかることがある。選択によって水を吸い上げて系を遂げた本筋から逸脱する数々の未完の未来(感)は、記憶によって現在に寄り戻り、寄生植物の発芽の勢いで累々と現在という時間に吹き出物のような有様で新たに散乱をはじめる。
 そんなこともあって、予感を支える、あるいは予知を浮かばせる対象は未来である筈なのに、過去が翻るようにして未来となると感じることが度重なり、写真などをみつめても、遠い未来のような風情で読み取れる。作品となったモノは、提示した責任の所在が逝っても、痕跡のようなニュアンスを越えて存在するから、その印象に間違いはないと思われるが、そういった理屈ではない、過去が押し寄せる未来感という状態が、つまりモノをこしらえる動機なのだと得心する。

 古井も最近の短編で似たことを書いている。

 何事とも知れぬ予感に掠められた時の訝りは、由来の知れぬ記憶に掠められた時の訝りに似ている。予感はたいてい、これはとあやしんだ時には通り過ぎているので、その行く方を追うのはすでに、記憶を探るのにひとしい。しかし記憶のほうもまた、実際に見たこと起こったことばかりでなく、見そうになって見なかったこと、起こる間際まで行って起こらなかったことも多く、いや、そちらのほうを多くふくむことだろうから、現実にならなかった未来が順々に送り越され、一生の詰まるにつれてそれこそ熟れて、記憶自体、予感の味がしてくるのではないか。

「死者の眠りに」雨の裾より転載

追記として、筋は異なるが、古井の文体は、やはり自らの思春期という自立の時を、戦後のどうしようもない世の中を見るしかなかった、途方に暮れる眼差しのベクトルを強靭に維持しているゆえのものであると、つくづく感じる。

自力考

 ひとりだけでなんとかすると云う自力は、人間が社会的な生物である以上、ともすれば傲慢な始末に終わることもあり、力を自らに果たす戒めが外部から無いことを理由に、甘い短絡と堕落と脆弱を抱えることから逃れられない。だが、そもそも創造的仕方というもののほとんどは自力であって、時に他力を必要とする場合においても決着結末は自力という責任に基づく。元来人間は自力で生まれてきたわけではないのだから、関係性の中で擁護や依存を前提に自力という慢心を戒めて謙虚に世に従うべきという考え方も王道として在る中で、しかし自力を更に推し進めてみると、他と決して交わらない個体論となって、その固有性の顫動のような喘ぎとしかならなくても、感覚は其処へ集中しあるいは其処から発散するという原理に立つしかなくなる。「自力」と言葉にして聲を発声する社会的拡張時には、故に二股の行方が忍んでいるということになる。
 せいぜい半世紀という時間の生命の知覚経験の集積は、類的社会性類似性を伴う道具(言語など)や、風評的印象(情報の享受)の数々で出来上がっているにすぎないが、はじまりから在ったような感覚さえ残る、固有であるということの逆説的(反社会的)な違和感、差異的感覚は、その夥しい客観性を切り裂くように罅割れて、杜撰なのは個体ではなく全体という妄想錯覚であって、今水を飲み干す個体の意志は、その罅割れに添って行き渡り、自らの力を感応する仕方しか信じるものはないことに気づくのだ。
 自力という生物論は成立しないことを敢えて了した上で、人間のこの矛盾した「自力」の喘ぎを続けることに、そろそろどうしようもないものが繁茂し上空を見上げている。