湾岸から

 音響創作を東京湾岸のオフィスではじめたのは、DTM構築環境が簡単になったこととデジタル系の仕事がそれを必要としたわけだったが、そもそも音楽(楽曲)ではなく音響(空間)への関心を持続していたことがある。目を凝らすことと同様に耳を澄ますことは私にとっては世界探索の手法として性に合っていたし観察や書物を捲るより別なことに気づく経験があり思いがけない認識が訪れることが少なくなかった。オフィスはスピーカーを使えない雑居ビルであったから様々なタイプのヘッドフォンを試しながら外部から断絶した音像景をビーカーの中のアルコール漬けを扱うように稚拙にはじめていた。勝鬨の舳先は荷揚げされた海産物の加工工場が建ち並び週末を除いた昼夜問わず酷く五月蝿かった。都市での車の必要の無い日々はとにかく只管歩く。交通網が繁茂している空間でその隙間つなぎを歩く時間は随分長かった。業務の隙間をぬってカメラを持ち且つ採録をしながら歩き回ることは、殊更意識したわけではなかったが、私にとっては環境で生き続けるには必要なこととなっていった。

 再び車を使うようになり移動する距離そのものは比較にならないほど伸びたけれども、歩くことが億劫になっていると気づいて、反省をしながら東京湾に寄せる波を浮かべ当時制作した音響に耳を澄ましていた。
 湾岸の埋立て地を徘徊した日々は、同時にフィルムからデジタルへの移行期でもあり、歩きながら撮影した画像そのものの質の検証時間の短縮(現像速度)によって、写真という扱いと考え方そのものが変わった。レンズの鮮明さを求めて重い中型をぶら下げた90年代の歩みと比較して、世紀が捲られてからフィルムはポジに移行し、そして、世の移り変わりに逆らわずにデジタルを扱うようになり、一眼レフフルサイズの高画質をぶらさげる重さも、中型の時期があったので苦にならなかったと思われるが、今となっては鮮明且つコンパクトであれば歩みも身の行為の広がりも伸びるので重さを嫌うようになった。
 音響をデジタルに扱うとはいえ、写真のような捉えの進み方とは異なり、ヘッドフォンが不必要となったこともあり、所謂騒音というものの無い環境で歩き採録をすると、それが当然構造的な都市のものとは全く異質な、世界状態の振動であることに気づき、地下鉄や下町や湾縁を絶えず移動していた移動採録から定点的なものに換えてみても、そこには物語性すら感じる流動的な響きの移動、豊穣がある。地勢自体が生成する音響の「アナログ」の響きをデジタルで採録するにしても、その再生を2chで行うことが憚れる。なんとかアナログで再構築できないか。
 だがいずれにしても採録再生と音響の再構築に関わると、写真現像と同様、世界の微細な出来事に多く気づきあるいはまた澄み渡るような探索がそこではじまる。構築中の空間(倉庫ギャラリー)が某らの起点となればと考える。