発芽のこの時節森を歩き眺めると、繊毛の細さの色帯が空間の余白を埋めようとするかに上下左右に発生し、まさかこの身もと掌や腕をまくって何か立ち上がるのかと見つめてしまうほどだ。街の計画配置された群生の色の塊ではなく、一斉に緩んで綻ぶ空間は、一年の中でも、特別な一時であると感じさせる。色彩の感得も表出に関わることも苦手であると身をひとつ退いてきたようなわたしが陳ねた風なモノトーンで撮影した画像を撮影しても、繊毛の生成の呻きは確かに記録されている。内側へ硬化し零下の凍結に耐えた地も樹肌も大気に呼気を吹き出し交えて生命の道筋を幾重にも伸ばす中を行けば、こちらもその影響下にあると判る。いつだったか描写訓練の時期友人が観察対象の輪郭にさまざまな色彩の光線がみえるとそれを再現していたが、当時わたしにはそこまでみつめる観察の能力は無く観念で手元を照らしてばかりだった。いずれがよろしいという態度の善し悪しではなく、大きく時空を跨いで織りなすように世界を感じるのだと、今となっては振り返ることができる。