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藁から

車の後ろの座席を倒しブルーシートを敷き、藁の束を五つ入れたまま、初めてくる池の前で車を止めて歩く。貯水用に加工してある池だが、もともと沼のような池があったのだろう、片端だけコンクリートで固めてあり水門もあるが、此所数年使われたような痕跡は無い。
林に入り込んでしばらくすると遠くから鈴の音がチロンと聴こえ、幻聴かと思ったが、枝の折れる音も重なり、樹々の隙間に人の姿がみえた。そういえば最近豊作の茸狩りに山に入る人間が増え、途中の山道の路肩にも、普段はない車が数台とめてあった。熊の被害も多いので、熊よけの鈴を腰に下げて茸を探し歩いている。毒茸は拾うなよと遠くから、時間の降り積もったような人の歩みをしばらく眺めた。
ほんのちょっとしたコマーシャルの影響で人が押し寄せている戸隠奥社には、雪が降ってから行けばよい。藁を乗せた車で、こんな場所に家がある。小さく驚くような道を進んでは止め、歩いた。森の中の今風の家にはしかし、ささくれた樹々や土地の手入れで幾度となく血を流した傷跡だらけの腕をした家人が、時には必死に生活するのだろう。備えのようなあつらえがどこの家にもみうけられる。その姿勢が、こちらにとっては今清々しい光景となる。
藁を降ろす頃には、車内がすっかり香しい藁の香りに充ち、手の甲あたりを嗅ぐと皮膚にまで移っている。椅子に座って庭の堆肥やら樹々の保護やらに使うこの藁の、皮膚に染み込んだ香りをまた匂っては、野焼きの煙の芳ばしさを、今度はあれを持って来ようか。思い浮かべた。

枝へ

 土地の数年前の噴火の際の地震のせいだろうか、一度は手入れをされた白壁の土蔵の下半身が崩壊し、罅割れが生じていた。ちょうど手前の樹木の枝と重なり、どちらがどちらかわからない騙し絵のような光景に向けて、その時は浅くシャッターを押していたな。帰りの車の中で、現像していない記録画像を、朧げに指先の感触と歩みから辿り返して、枝とあの罅割れの成立の遺伝子は同じじゃないかと、小さく驚くのだった。
 枝を見上げてその詳細が克明に記録されている画像を可能なかぎり拡大させて得心し、再び枝振りのよい樹々を探して歩いたのは、三年前の冬だったと、記録をデータから辿り、枝自体に崩壊の、罅割れの持つ、巻き戻しのできない時間への黙示をあらためて確認する。
 その後戻りできない時間の楔の隙間に広がる空白、枝と枝の間、罅割れで左右にあるいは上下に分たれ差異化の始まりに潜む、潜在する、奥行きのある物語を、誰かが何処かで語り始めていると、勤め帰りの車が注ぎ込まれる静脈のような国道の中、横から頭を垂れたり手をあげて入り込む全てをゆっくりと頷いて隙間をつくりつつ、首の根元が熱くなった。
とここで、この言語の隙間行間にさえ、枝が入りこんで、ほら時間軸自体が前後に揺らぎ螺旋の錯綜をはじめている。これも物語だ。
 

見えていない世界

 大宮、高崎から人が乗り、終着まで座席には人がうまったままの勤め帰りもいるのだろう夕刻の列車で窓にもたれ、取り出して眼の前に置いた本は結局上田をすぎた頃二頁ほど辿ったきりで、それ以外は閉じたままだった。
 まず写真という画像表象から恣意を探り出してから、その人間的な意思、意図の届かぬ領域の、そもそも見たいという欲望の果ての、本来的に見えない、見ようとしない光景というものに、時間経過という差異の地平で、わたしは凝視をはじめていると、考えていた。
 世界は勿論、人間的な都合の光景がうちひろがっているわけではないし、街頭や衛星のレンズも淡々と置かれてあるという意味で、その目的を外せば、見えない世界を映し出すに違いないが、わたしの後日立ち上がる凝視は、そういった種類は外される。もっとデリケートにレンズが機能していなければ、凝視は折れるからだ。このあたりが選定のむつかしい点ではある。
 凝視は、見えていなかった、見ようとしなかった世界が見えつづけるという、なんらかの*仕立てがなければ成立しないコトへ向かう。この場合、この仕立てが恣意の外と明快な線を引き、瞼の位置の目的と、世界との個別な人間的な関わりを排斥するように、例えば水平と垂直にのみ支えられ、中心とか俯瞰とかも失せ、ただどうしようもない事実性が、共有の土俵に顕われる情動的ベクトルに対しての斥力をはらんで、視覚的好奇心の喪失感をむしろ顕著にする。
*撮影時の身体の角度が関係している。この角度とはつまりこれもひとつの恣意にすぎないのではないかという思弁に陥ることも否めない。
 「見えていない世界」「見えなかった世界」と言葉にすると、そうしたものが、視覚欲動の新たな対象として、視覚快楽を増長する美的な開発、発掘と安易に響くが、この凝視の対象は、見えていないことの持続が結晶化されているという点で、矛盾するけれども、見たくなる、見ることで気分がよろしくなるといったものではないといってしまっていい。見えていない、見えなかった、という知覚の外縁、あるいは知覚の果てにそのまま残されているという状態を選別し、それに対して、凝視するわけだ。
 
 視覚とガラス (レンズ) と光と距離 (空間)と時間を、机上に並べ置く、その配置構成の、いうなれば景色のようなものを、最近頷きながら静止状態にシンクロしたまま度々幻視していたので、歩行や列車の動的な移動軌道上において、あの静止状態を検閲するような意識が働くのだろう。数日はまた移動を繰り返し、この活性を支えて、もう少し「凝視」の行方を探る気概のようなものを溢れさせて、丁度タイミングのよかったバスに乗り換えた。

今時の

歩行を営みにしている人間はと、築地の豆腐売りが浮かぶ程度で、外回りの営業も、売り物を背負う人もいるけれども、歩み自体が生を育んでいるのかと首を傾げた。歩みは目的に従って身体を移動するから、芭蕉のような旅の体裁は、なかなか現実的ではない。目的があるから、歩むことが身を開いて、知覚を活性化させることもなかなかできないのではないか。こちらにしても、高々しれた距離を、もとはと言えばカメラをぶら下げたから歩めたようなもので、本末転倒、歩くという身体の自明な展きを、そもそも成立させた過去を持たない。
 異境を徘徊した時も、歩かねば其処に来た甲斐がないのでという脅迫に常に背を押されていた。そして実は長い時間部屋に籠って、実らなかった言語の学習に躍起になっていた。歩くことの意味というより、歩く必然を生に定着させれば、その定着の手法が目的となって歩くという運動がもたらす疲労からの逃避が生まれるし、登山や遠路の歩みを企ててれば、特異なイヴェントとなって興奮に支配される。ただ単に歩くというのは、むつかしいというわけだ。
 だがパラレルな場所を歩けば、自然と眺めが身体を動き、その光景へ至った系譜を受け取りながら、身体と場所との「角度」のようなものは生まれる。これをきつく戒めるつもりはないが、テクノロジーにも助けられつつ、結局固有な角度となることを確かめられれば、しめたものだ。手のひらの中の小さな小石のようなこの実感は、「なにもしない」という老いに忍ぶ世代狂気を救う唯一の妙薬であると、随分若い頃からどうも私は思っているようだ。
 
 

探索の海というイコンか

 歩行の身体が刻々と纏う感応は抱えた網からどろどろ漏れるようなもので、気象や事象に左右される体調と気分なども、掌に残った残滓をじっと堪えるようにみつめる誠実さを持ち合わせていない。
 関係の罠、あるいは観念の呪縛からなかなか簡単には自由になれないが、拘束の身に生まれるのは、探索という欲動に近い衝動であり、残された唯一の可能性であるといっていい。この探索が新たな罠と呪縛を呼び込むメビウスの環とならぬ工夫こそが、つまり、感応の諸々を都度ほとんど喪失する稚拙な歩行であり、探索を振り返る立ち止まりに生じる「眺め」の、鉱石の荒野、埋もれた事象が所々その一部を表出させている砂漠、いわば過去形の探索の海だ。
 罠も呪縛も浅薄な目的に、始まりから未来まで支配され、その言葉の中で既に終了している。ひとつの静止状態を、固有な観念、あるいは固有な音響に結ぶことは、罠を構築することに似ているので危うい。同じように、散乱併置された出来事は、時間的文脈の内在する性質(これは関係ではない)によって、時間経過と共に深みを蓄積させるので、アフレコのような翻訳的関連性を与えること自体間違っている。
 無関係に散乱した探索の海は、他者性の世界として、自己と無関係に在る、あるいは在ったわけではない。探索の海を構想(イメージ)しないかぎり、その時に力学的矛盾を孕む光景は、欲動される感応と振り返りの眺めの中で、時間経過を超越する意識の気概を形成できない。
 だから偶然と閃きの断片を振り返る立ち止まりを促す歩行を、身体的にのみ持続することが肝心で、歩行のシステム化、観念化は、立ち止まらないマラソンとなってしまう場合もある。
 
 この歩行が、唐詩の漢文の併置となんと似ているのだろうと、朝方放心していた。