枝へ

 土地の数年前の噴火の際の地震のせいだろうか、一度は手入れをされた白壁の土蔵の下半身が崩壊し、罅割れが生じていた。ちょうど手前の樹木の枝と重なり、どちらがどちらかわからない騙し絵のような光景に向けて、その時は浅くシャッターを押していたな。帰りの車の中で、現像していない記録画像を、朧げに指先の感触と歩みから辿り返して、枝とあの罅割れの成立の遺伝子は同じじゃないかと、小さく驚くのだった。
 枝を見上げてその詳細が克明に記録されている画像を可能なかぎり拡大させて得心し、再び枝振りのよい樹々を探して歩いたのは、三年前の冬だったと、記録をデータから辿り、枝自体に崩壊の、罅割れの持つ、巻き戻しのできない時間への黙示をあらためて確認する。
 その後戻りできない時間の楔の隙間に広がる空白、枝と枝の間、罅割れで左右にあるいは上下に分たれ差異化の始まりに潜む、潜在する、奥行きのある物語を、誰かが何処かで語り始めていると、勤め帰りの車が注ぎ込まれる静脈のような国道の中、横から頭を垂れたり手をあげて入り込む全てをゆっくりと頷いて隙間をつくりつつ、首の根元が熱くなった。
とここで、この言語の隙間行間にさえ、枝が入りこんで、ほら時間軸自体が前後に揺らぎ螺旋の錯綜をはじめている。これも物語だ。