藁から

車の後ろの座席を倒しブルーシートを敷き、藁の束を五つ入れたまま、初めてくる池の前で車を止めて歩く。貯水用に加工してある池だが、もともと沼のような池があったのだろう、片端だけコンクリートで固めてあり水門もあるが、此所数年使われたような痕跡は無い。
林に入り込んでしばらくすると遠くから鈴の音がチロンと聴こえ、幻聴かと思ったが、枝の折れる音も重なり、樹々の隙間に人の姿がみえた。そういえば最近豊作の茸狩りに山に入る人間が増え、途中の山道の路肩にも、普段はない車が数台とめてあった。熊の被害も多いので、熊よけの鈴を腰に下げて茸を探し歩いている。毒茸は拾うなよと遠くから、時間の降り積もったような人の歩みをしばらく眺めた。
ほんのちょっとしたコマーシャルの影響で人が押し寄せている戸隠奥社には、雪が降ってから行けばよい。藁を乗せた車で、こんな場所に家がある。小さく驚くような道を進んでは止め、歩いた。森の中の今風の家にはしかし、ささくれた樹々や土地の手入れで幾度となく血を流した傷跡だらけの腕をした家人が、時には必死に生活するのだろう。備えのようなあつらえがどこの家にもみうけられる。その姿勢が、こちらにとっては今清々しい光景となる。
藁を降ろす頃には、車内がすっかり香しい藁の香りに充ち、手の甲あたりを嗅ぐと皮膚にまで移っている。椅子に座って庭の堆肥やら樹々の保護やらに使うこの藁の、皮膚に染み込んだ香りをまた匂っては、野焼きの煙の芳ばしさを、今度はあれを持って来ようか。思い浮かべた。