29.Jun.2015 自力考

 ひとりだけでなんとかすると云う自力は、人間が社会的な生物である以上、ともすれば傲慢な始末に終わることもあり、力を自らに果たす戒めが外部から無いことを理由に、甘い短絡と堕落と脆弱を抱えることから逃れられない。だが、そもそも創造的仕方というもののほとんどは自力であって、時に他力を必要とする場合においても決着結末は自力という責任に基づく。元来人間は自力で生まれてきたわけではないのだから、関係性の中で擁護や依存を前提に自力という慢心を戒めて謙虚に世に従うべきという考え方も王道として在る中で、しかし自力を更に推し進めてみると、他と決して交わらない個体論となって、その固有性の顫動のような喘ぎとしかならなくても、感覚は其処へ集中しあるいは其処から発散するという原理に立つしかなくなる。「自力」と言葉にして聲を発声する社会的拡張時には、故に二股の行方が忍んでいるということになる。
 せいぜい半世紀という時間の生命の知覚経験の集積は、類的社会性類似性を伴う道具(言語など)や、風評的印象(情報の享受)の数々で出来上がっているにすぎないが、はじまりから在ったような感覚さえ残る、固有であるということの逆説的(反社会的)な違和感、差異的感覚は、その夥しい客観性を切り裂くように罅割れて、杜撰なのは個体ではなく全体という妄想錯覚であって、今水を飲み干す個体の意志は、その罅割れに添って行き渡り、自らの力を感応する仕方しか信じるものはないことに気づくのだ。
 自力という生物論は成立しないことを敢えて了した上で、人間のこの矛盾した「自力」の喘ぎを続けることに、そろそろどうしようもないものが繁茂し上空を見上げている。
 

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19.Apr.2015 rhyme trace 「韻痕」の逆説

 材(紙、木炭)の系譜的親和性(安易性)は、とりつき反復する容易さと、粒子を扱う自らの文脈から選ばれた。特に必要と思われたのは、某らへの構造基底となる転位を前提とした段階的な位置づけではなく、それ自体で完結し短い作業過程で反復に耐える構造であることだったから、表出が鍛錬じみたものであっても構わなかったし、むしろそれがこの作業の時間論となると弁えた。 Read more ›

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13.Apr.2015 場所の光

 北から南まで刑務所を渡り歩く仕事をしていた時に、はじめて訪れる場所がほとんどだったから、余計に時間をとって撮影しながら歩き回っていた。その前には、指先の没頭から逃れる、解放されることを期待して、中型の重い機器を担いで、田畑や街の裏側をのっそり歩いていた。旅に出てカメラを覗いて歩き回ることが身に染み付いた行為であるので、こちらはその癖を繰り返すばかりだが、同行者はその歩みに終着点やらの目的が明快に無いと辛いものらしい。立ち止まってシャッターを押すと、なんでこんな場所を撮影するのか、怪訝な顔つきをされるけれども、説明するほどのこともない。ただこの癖は、現実の再現認識という現像であるから、場所の出会いを反復することとなり、見逃してよいものを見逃さず、余計な現実を現実として捉えるようになり、そもそもの出会いの新鮮を打ち消す効果もあるから厄介ではある。 Read more ›

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06.Mar.2015 棚からはじまっていた

 思いかえせば4年前の「311」から一ヶ月後の春に、写真作品の「額装」から「棚」へ展開している。

042011 wall plan >> Read more ›

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21.Feb.2015 愚図の時間論

 気温が上がり路面のアスファルトが顔を出しグリップが心地よいので加速し車を走らせて長女の忘れた手袋を宅配で送付してから蕎麦を喰いに回って戻る。池の淵に立って鯉に餌を投げる。盆栽を剪定し水を差す。あるいは縁側に座り込んで爪を切る。・・・のようなことだなと愚痴るでもなく端材の組み立ての続きを行っている最中に、ふとこの過ごし方に言わば制作の時間論があると気づく。 Read more ›

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