21.Oct.2019 何が描きたいのか?と尋ねられて

 ギャラリートーク(主宰者は茶会といった)にて、進行役のナカムラジンより尋ねられて、ああ、あなたはモノをつくる人間で、こちらは「成る」ことに感(かま)けていると答えたが、おそらく伝わっていないと感じた。関わる事象を完成帰着させるつもりはないと続けたせいで、「成る」の誤謬は広がっただろうと、帰り道若干反省して振り返っていた。主宰進行役から、お前はエッセイ等内容がわからないので書かない方がいい、俳句とか短歌とかのほうがいいと言われ、これは判り易い絵を描けと言われたも同然だと、小さな(まあ米粒程度の)ショックだった。彼の言いたい事はわかるけれども。

 「捜査(探索)」と副題を与えた個展にて、自らの出自・系譜を湿す資料を添えた「あけっぴろげ」の自己展開のキャリアを示しながら、粒子物質への頓着(念力でコントロールの不可の彼岸を泳ぐことができると踏んで)からはじまり現在に至るまで、つまり、世界へ関与することで「生成されていく」成行きに関心があり、過程それ自体とも言えるけれども、その「生成されていった事象」がまた、次の「生成」への機縁となるので、私は、帰着、コンスクエンスとして、作品を完成したモノと捉えていないということを、言葉にしながら再度強く認識していた。

 同席していただいた小山さんより、制作には「止め時」のようなことがあると指摘されてたが、そういう所謂匠技を目指しているわけでもない。「絵描き」ではないと言ってしまえばよかったと今になって思う。
 例えば、画家の川合くんの画面の星空の、極小サイズで点描された星に近寄って、如何様な手段(技術及び精神性)にて、それが施されているのか尋ねたところ、筆で点点点と描いているだけですと説明されたが、仮に私が星空を「粒子」から展開して「成す」には、おそらく、全く別の仕組みを考案しようとする。この考案という行為が「成ることにかまける」ということだ。私の手元へ、画家川合くんの星の描写の技法と精神が宿ることなど望んでいない。(星ではないけれど、「散乱」状態を成す構造構想を一年ほど繰り返している)

 一ヶ月前の個展搬入の後、DTOIS企画展出品の為の、平面制作のつづきがあったから、暫く思念を整える時間がなかったが、トークイベントの前日には、無重力と*矩形への関わりから引寄せられた「天狗舟」のエスキースをひいていた。(*2016nagano alternative:反矩形:天狗宇宙舟四十六艘) これは、平面での展開と立体とを同時並行させてみようというもので、タイトルが目的化されるものではない。2016年のインスタレーションで形態示唆と未消化なものが、以降の無重力という状況と重なって、次の形態感へ「成って」いきそうな気配がある。

http://naganoalternative.com/wp-content/uploads/2016/09/120116.pdf NA2016 solo PDF >>

 描きたい対象などない。描きたいわけでもない。目の前のモノに介入することによって「生成」される事象に身を投じるということ。故に作品に顕現される介入の手法、態度は大いに参考になるわけだ。詭弁に聴こえるのかしら。まあ、最近はどうでもいいと感じてきているが、とりあえず游動行為の印象記録として。

追記:
東側より幾度も撮影している飯縄山稜線を引用した平面作品群を”Mountain”として、その形象が、個人的にだが横臥のヒトガタと観測していることを加えた、Mountain+ヒトガタの構想を、冬場の展開とした。これが、「天狗舟」といずれ重なり合うのか不明だが、その曖昧な霧の中を早々に探り歩きたいものだ。

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