インターバル

 制作構築上の、素材乾燥を待つという都合で、事象の交渉作業が途切れ、そんな時は併行している別へ横移動するけれども、取り組む制作作品毎に作業形態が異なっているので、なかなかすんなり差異のある創作気概の移行はできるものではない。大方は無理だからあっさり諦めて散歩や外部への用事で数時間を車などで離れることも、最近は頻繁にあり、こうした宙ぶらりんのインターバルの最中で断片化された思考は整理されるものだと知る。中断される身体的な作業の、それぞれ個別な事に、全面的に思念が注がれているわけでは勿論ないが、竹の節々のような分節でもあるこうしたインターバルに、そこそこせき止めていたようなことが流れはじめて渦をつくる時間の溜まりのようなものを眺める気持ちになることは、ある種健全だろう。

 
 放られた過去と記憶を現在に並べて、あの時一度切り捨てた筈だったと憶いだせば悉皆再考へ呼び戻す緩い気持ちのまま過ごしているせいで、気づかなかった過去の行為の根拠へ歩み寄ることもできる。あの決定は性分だったと弁えた筈が、実は別の理由があったと今更に静かな認識が降りてくるので、これは気持ちの良いものであり視界は澄み渡る。
 創作に忍んでいた、所謂「没入」と「愛着」と「美意識」のようなものに子供の頃から違和感があり、他所(作品)を眺めても普遍より制作者個体の汗や匂いが家族よりも増幅されて届くので、押し避けるような姿勢だった過去の記憶や記録には、実は全く別のシステムで解消できると踏んでいた気配が残っている。

 カメラをぶらさげ続けてきたこと(厭きもせずおそろしく長い時間静止画を眺め続けて来た)。子供でも選手でもかまわないが、たまを放り投げるような行為性(放下)が消えないこと。あるいは、路傍の草叢へ手にした枝棒でひゅんひゅん振り回すような、至極単純で意識辺境にて行為するようなこと。ただ並べること、積木のような遊戯性に留まる。などなど、事象も創作も「外部」にて、意識の外で展開されているということを自明とする手続きを踏もうとしてきたわけだ。つまり、個体のひとつきりの想念から「表現」という欲望を絞り出して提示すること自体に「傲慢を示して何が面白い、倫理を示せ」といった違和感は消えない。間違っても「表現」などしたくなかった。二十年前に倫理の問題(創作、制作とは倫理を示すこと)だと気づいたのだったがこれは今でも変わらない。

 いつだったか仕事で出会った、まだ若い女性刑務官の「収監されている贖罪人の役に立ちたい」と転職の動機を毅然とした魂で話してくれた実直な言葉と同質の「気概」にて、創作を行いたいということになる。父親の生前だからもう十五年ほど前に、実家の西側の県営住宅地が撤去されていた空地がそのまま広い公園へ造成されることになり、近隣の住民が集って、意見を纏め施主である市に提案しようと会議を繰り返し、環境保全の専門家も呼び、わたしもイメージをこしらえてくれと頼まれて、鬱蒼とした樹木ばかりの野生自然に近い環境の公的スペースを出力して手伝った。責任を回避する為に部署替えする都市開発課の人間は、大いに理解を示しながら、結局綺麗に舗装された遊歩道と陳列樹木と東屋が配置された「自治体公園雛形」となり、近隣住民の夢は砕かれ同時に人々が愉しみながら保守保全へと集う公的スペースではなく、空家が増え老人ばかりが徘徊する経年宅地の綺麗な隙間となり果てた。成程社会は理念など持てない構造だと実感する具体例だったが、彼らの市街宅地を生存環境へ自然に近寄せた森を創出させるという「未来志向」は間違っていなかったし、システムが応じるにはまだ時間がかかる。これが民度というものだろう。
 あの時の出力イメージを度々おもいだすことがあり、数年前には「2030」という近い未来をテーマにした企画を考えたこともある。いずれにしても、「集合意識」へ薫染せしというエポックを、2020オリンピック後明晰にという思いを、現在のそれぞれの創作へ睨んで放りつつ、これからまたインターバルへ。