episodic memory

ーエピソード記憶は「一回限り」の学習機構であると考えられている。あるエピソードを一回体験しただけで、それを記憶するのである。一方、意味記憶は繰り返し同じ事物を記憶することが影響する。その事物に触れるたびに脳内の意味表現は変化していく。
エピソード記憶は意味記憶に存在する各項目を結びつける「地図」のようなものと考えることができる。例えば、意味記憶はあなたの飼い犬の外見や鳴き声を記憶している。あなたの飼い犬に関するエピソード記憶群は「犬」という意味表現を参照しており、その犬に関する新たな体験によってあなたの飼い犬についての意味表現は更新されていく。
研究者によっては、エピソード記憶は常に意味記憶に洗練(精製)されていると考えている。その場合、特定のイベントについてのエピソード的情報は一般化され、イベント的詳細は失われる。この考え方の派生として、繰り返し思い出されるエピソード記憶は一種のモノローグとして記憶されるという見方がある。例えば、あなたがある出来事について繰り返し話をした場合、それは既にあなたにとっては「イベント」ではなくなり、あたかも物語を語っているように感じていることに気づくだろう。
逆に、エピソード記憶は常にエピソード記憶として思い出されるとする見方もある。もちろん、エピソード記憶は意味記憶に影響を与え、意味記憶の上に成り立っている。エピソード記憶が最終的に意味記憶へと変化するとは考えない点が上述の考え方とは異なる。ーwiki

ー1997年までは、人間以外のエピソード記憶の証拠はほとんどなかった。これは動物のエピソード記憶に関するテスト実施が困難であるためである。Tulving (1983) で示されたようなエピソード記憶の基準を満たすためには、意識的な記憶の証拠を提出しなければならないのである。しかし、言語を持たない動物でエピソード記憶を確認するのは不可能である。というのも言語以外の行動で意識体験を示す証拠として認められているものは存在しないのである (Griffiths et al., 1999)。ーwiki

ーエジンバラ大学で2006年に行われた研究によると、ハチドリが世界で初めてエピソード記憶の2つの側面を示した動物とされた。それは、ある花のある場所とどのくらい以前にその花の蜜を吸ったかを思い出す能力である。彼らはハチドリの行動範囲に(ショ糖を内部に仕込んだ)8本の造花を配置し、ハチドリがそれらの花を訪れる頻度を観測した。8本のうち4本は10分ごとにショ糖を補給し、残る4本はショ糖が空になってから20分後に補給するようにした。ハチドリは造花のショ糖補給スケジュールに合うように訪れるようになり、10分間隔で補給される造花には頻繁に訪れるようになった。「我々の見識によれば、これは野生動物が食料源の場所といつそこを訪れたかを記憶していることを世界で初めて示したものである」とエジンバラ大学の Susan Healy は述べた。ーwiki

Episodic memory / Scholarpedia

ロジック

 思考の法則、思考のつながり、推理の仕方や論証を「パッケージ」としてわかりやすくまとめると、とかく論理限界がうまれる。パッケージ輪郭の無い論理回路というものは、あらかじめ破綻を回路化させ、論理変容が可能な構造に仕立てるという、矛盾を予定しなければならない。内部にこうしたブラックボックスを置くことはむつかしいから、パッケージを断片化させて併置するその置かれた距離感というものが、論理的にではなく、直感的に、あるいは感覚的に配慮されるべきであり、その距離より生まれる隙間に、無限を敷くことが、所謂人間的な介入の仕方であり、その無限が時間と同じレヴェルの記憶となりえる。この場合の記憶とは、論理へのキックバックとなる。

 断片化させる場合も、その各々の断片は、勿論個別差異と機能同一性(目的に対して)が等しく与えられていないと、距離(隙間)の差別化が生まれ、その引力、斥力などによって、類型吸引、あるいは疎外などの、不均等なパワーバランスに縛られる。

 断片化させたものが、各々深化する固有性には、当初の目的に対するネガティブが指向が生成することもあり、これを許容しないと、そもそも断片化という論理配慮の意味がなくなる。同じように、自己淘汰、自傷論理、自己矛盾の深化による個別消滅も可能性として否定できない。

 ただ、構想の軸となる脳が、あらかじめ複数の断片をかけもつことで、短絡的な進行に変化が生まれるだろうが、その脳の能力自体が、活性的でなければこれも差別化と放棄に陥る。