思考の法則、思考のつながり、推理の仕方や論証を「パッケージ」としてわかりやすくまとめると、とかく論理限界がうまれる。パッケージ輪郭の無い論理回路というものは、あらかじめ破綻を回路化させ、論理変容が可能な構造に仕立てるという、矛盾を予定しなければならない。内部にこうしたブラックボックスを置くことはむつかしいから、パッケージを断片化させて併置するその置かれた距離感というものが、論理的にではなく、直感的に、あるいは感覚的に配慮されるべきであり、その距離より生まれる隙間に、無限を敷くことが、所謂人間的な介入の仕方であり、その無限が時間と同じレヴェルの記憶となりえる。この場合の記憶とは、論理へのキックバックとなる。
断片化させる場合も、その各々の断片は、勿論個別差異と機能同一性(目的に対して)が等しく与えられていないと、距離(隙間)の差別化が生まれ、その引力、斥力などによって、類型吸引、あるいは疎外などの、不均等なパワーバランスに縛られる。
断片化させたものが、各々深化する固有性には、当初の目的に対するネガティブが指向が生成することもあり、これを許容しないと、そもそも断片化という論理配慮の意味がなくなる。同じように、自己淘汰、自傷論理、自己矛盾の深化による個別消滅も可能性として否定できない。
ただ、構想の軸となる脳が、あらかじめ複数の断片をかけもつことで、短絡的な進行に変化が生まれるだろうが、その脳の能力自体が、活性的でなければこれも差別化と放棄に陥る。