概ね共有地(コモンズ)と共同体(コミュニティ)とは、公有地と私有地との差異以上の概念的違いがあるが、感覚的にこれは混同され、勘違いされることもあるようだ。
共同体はcommunityの訳語で、もともとのこの国には概念は存在しなかった。地域の定着村落がそのようであったとしても、自覚として共同というものは生まれにくい素地があった。
「同じ地域に居住して利害を共にし、政治・経済・風俗などにおいて深く結びついている社会のこと(地域社会)」
共有地とは、特定の多数が所有を共に分け持つ場所を示すのであって、これは共同体というものではない。
共有地という場所性における共同体ということを、最近進行させている計画もあってつくづくと考えはじめており、それぞれの概念解体の綻びで別な形を結びもたせるような構想の骨格を、あれこれ転がしては潰し、を繰り返していると、共有地は、単なる悲劇を避けるための利己利他という利害構造問題ではなく、共有(シェア)という名指す別の位相の場所を示す方向が生まれ、コミュニティーというビジョンも、その方向性によって変異しはじめている。
参考になるのは、例えば、30年の成熟をみる大分の One Village One Product movement の、そもそも「収益率が高く農作業が比較的楽な農作物を生産、果物を出荷するほか、付加価値が高い梅干しなどに加工して出荷を行う」という稲作に適さない山間地帯であることを場所の固有な特徴と生かした運動であり、地域復興例としては、現在「特産品の品目は336にのぼり、生産額は総額で1,400億円に達している」。*「」内 wikiより引用
この事例から促されるのは、地域復興という前提の定義ではなくて、手法的なメソドにある、「収益率が高い」「付加価値が高い」という差別化による、構想実現の具体的なビジョンそのものであり、このビジョンには、これまでの「稲作」という従来型の安定手法と手を切る、切断と新生の気概が込められている。
つまり、共同(シェア)生存メソドに、グランディング(軽く膝を曲げて腰を落とす)準備すべき率先事項は、理念ではなく差別化の具体的なビジョンとなる。