常に言葉に牽引されることをよしとした愚鈍な歩みめいた辿りの中途で、浮かび上がる映像のような景色にさらに促される筈が、あまりに瞬間の静止画像のような出来事に積上る言葉のせいで、断片が結晶化し孤立するような感触がある。
描写にすぎないと弁えつつ説明に終始するつまらなさを棄てるには、運ばれてくる言葉自体の化学変化が即時的に煌めかねば、言葉本来の力を喪失するので、やはり何度も切断と修復を繰り返すしかない。
判り易い言葉の提示の彼方には、広がりが必要と思われ、限定的な意味からはじまることであっても、発音すればと。
行方を睨む目つきが、こちらの好奇心を示すだけではあり、この言葉の織物も、肉体の声のような種類ではなく、姿勢にすぎないので、ここにもまたある種抑制された、シンプルな入り口しかないのだが、扉として機能せよ。