ともすれば振り返った仕草を辿る観念の上澄みを撫でれば済むかの初動ではあったが、長い間仕舞い込んでいた事を痛切に抱きしめる時と場を得た現実感に従う開き直りもそれを後押ししている。こうした身体的な現実への関わりは十二年の空白があり、それによって保たされた肉体の痺れを躱すためは歩行と同じ反復を写真という仕組みにのみ投影させ、どこか身を後ろに引いた距離感のある視線だけで過ごしていた年月がこちらにはあり、無論これはすり替えではなく写真自体への関わりは三十年近いのではあるけれども、写真といったことが代理する悉が数多形振り構わぬ格好となった。
「モノへのみつめ」という正当性を問う手法指針のような硬直を誘う大袈裟で古臭いことではなくて、「みつめられているモノ」という出来事の実現機会として自らを其処へ率直に投影する。故に独我的な青さの奈落へ落ちる緩い覚悟というほどもこともない、堕落に似た自在感に任せたのは、何よりも環境が劇的に私的に様々をこれまでない世界として構築するからであった。
標高千メートルの生活など死ぬまで説明や描写などできないだろうと最近は思うようになる。単に似た環境の生活者の過去と現在を横に並べささやかな差異としてこちらは小さく消えるに過ぎない。その屈託の無さのようなものを頼りにするだけのことだ。