手元

見えるところに散策で収集した枝やら小石やら草木やらがあり、時折ページを捲って抄写することも似ている。さてそれらを両手を擦り合わせ素材にしてなにか別なものにこしらえるつもりは毛頭ないし、奇麗な整理棚にコレクションとして並べることを繰り替えすわけでもない。五月蝿くなれば棄てている。

道端の枝や石、ホームセンタの切り出された端材や小さな修復材、ありふれた生活雑貨など手に取るでもなく眺める時に、ふっとそのモノの意味と認識がラベルとかタグが失せるようにしてもの自体となって浮き上がることがあって、海辺でわけのわからない生物のような軟体を手のひらに乗せた当惑に似た感覚が広がり、気がつけばポケットに入れ、レジ籠に入れ、そんなわけのわからなくなった筈の数々が、タグとラベルをちゃっかり取り戻した澄ました表情で部屋の書棚や棚や窓辺に置かれてある。

空っぽになった軀で部屋を歩き回り、片付けをはじめるような時、そんなものたちをゴミ袋に棄ててしまうこともあるけれども、どうにか意味の失せた時の佇みを取り戻すのではないかと暫し手元に置き直して片付けを堪える。あるいは堪えるばかりでは駄目かと、床に広げ置いて、置き方をあれこれ試しながら、こちらを遠ざける斥力が再燃するのではとふざけた仕草で遊ぶのだが、多分同じ姿勢同じニュアンスで幼児の頃土を弄り積み木を繰り返していたと体感記憶が軀に重なり、幼児の目玉をした初老になっていることに気づく。