雨の音から

私生児レオナルドが晩年育った山川の記憶を引き出しながら3年間描き続けたモナ・リザが愛人のジャン・ジャコモ・カプロッティであれ妊婦のリザ・デル・ジョコンドであれ、モナ・リザから離れた夜な夜な女の腹を切り裂き子宮まで広げて克明に生命の在処を男ではなく女に見いだして描写した倒錯的な感覚の中ではおそらく記憶と対象と幻視が入り交じって、彼の意識の中ではモナ・リザは描かれる対象から遠い彼方へ飛去っていたに違いないと、雨降る新緑が頭の先まで垂れ下がる山の道を歩いて転がしたのは、指先(筆)で触れ続ける撫でて現われるものを待つ反復が擦り込まれたタブローへ朝方懐かしさが溢れるように込み上げたからかもしれない。

緩く曲がる雨音に耳を塞がれたみどりの中で続けて、でもしかし、1911年にアポリネールとピカソまでもが容疑者とされた母国イタリアのペンキ職人ビンセンツォ・ペルージャのこっそりルーブルに忍んで画布を脇に抱えて盗む姿が浮かびくすと笑いが漏れた。

時間が許す限り描き続ければ絵画は霊性さえ備えたコトに変異する感触は油絵をはじめた十二三の頃からあったが、それをなぜか画家は避けていると幼い頭で勘違いを重ねておもいつつ画集など捲っていた。だからレオナルドは人生の終わりにおいてようやくその耽美に堕落できたのだと青年になっても考えるでもなく思っていたが、ラファエロなどの自らに比べて飛躍的にプラグマティックな台頭を横目にして、曲折の出自感覚の落ち着き場所を懸命に探していたのかもしれないと今では雨に唆されて考えるのだった。