バイクに股がりカメラを襷がけして走り止めチンチンエンジンの静まる音を後に歩きはじめてから草履できてしまった地下足袋にすればよかった蛇のくねりそうな薮と柔らかい地面に踵を沈め構わず歩いた。
車は通るが数えるほどだろう。地元の必要に応じて使われている道脇の山菜採りでも人は降りて歩きはしない水量の減った池の縁に立ち、そういえば昨年の夏父と幼子があの残り水の中央あたりを歩いていたなとひとつの景色を憶いだした。あの時はこの窪みの意味がわからなかった。柔らかい風に撫でられる草に覆われていた。
先日迄残雪があった積雪量の多い季節の後では引き水に時間がかかるのだろうか。窪みでは必ずこうした溜まりと排水を繰り返しその環境で繰り返される植生の独自がまた蓄積されている筈だと足元の枯れ草とその隙間から垂直に立ち上がる新芽を草履で踏み砕きながら裸足では血がでるとバイクの置いてある高みへ振り返ってから座り込んだ。
然程距離の離れていない場所にもうひとつ深さは浅いが広がりはある窪みがあって、これは過去に池かスケートリンクか知らないが保全された痕跡があって現在は放棄の時間に黄昏れている。浅さの為か水の引き具合が早いが、窪みを取り囲む白樺の樹木は恣意的な配置なのか空間の音響を丸くする効果があるようだ。こちらにとってはなにか特別な場所となりそうな予感がある。
500メートル下の駅あたりまでへ流れる筋に沿って道があり、八蛇川(やじゃがわ)と名付けられている。福井にもある戸隠の九頭竜よりひとつ数が少ないことには場所の理由がありそうだ。