南北の窓を開けて寒かったがアラジンを足下に寄せ部屋の淀みを払うと鳥獣の物音が聴こえる。ストーブの上にのせたケトルの小さく沸騰する音が邪魔なのでシンクへ持っていき朝の弱いがざわめく息災の音響と冷気に身をひらく。
日が暮れると静寂というより無音という固形が大気を凍らせたか指先で擦りあわせる音も吸い込みまるで聾となるので、ラジオとか音楽やらを流していたがそれもやめるといちいちの動作の音の尻尾がかき消えるように細く消滅し、そのうちに音自体なくなったような体感のままベッドで本など捲ると朗々と文字が音を奏でる。その語りにどこか耳を傾け、ああこれは読書ではなく聴いていると何度か思った。だから聴こえとして駄目な文体のものは閉じてしまう。無音の囁きに慣れてしまうと朝のラジオなどのパーソナリティーが喋る口語の相槌のようなものが気に障り、2010年9月27日から2011年3月25日までの放送のほとんどを録画して今でも時折眺めている新漢詩紀行のナレーターをつとめた松岡洋子 (1954~) の声がそもそも夜中の囁きの主だったので、抑制と親和の適度に平安の声と言葉の抑揚をもたらす端正な言葉の綴りを別に求める理由となる。
よく見えているという実感をレンズの力を借りて行うことを続けているせいか、実はよく見えていない実際の目玉の不具合は当に諦めているところがあり、故に繰り返し見ることの知覚への揺り戻しのような探索は、日課というより戒めとなっているが、環境が変わるとこうもその戒めの抑圧感が払拭されるのかと小さく何度も魂消る時があり、転じて環境下では見えるより感じる軀の他の知覚機能が活性化されるのでよく見えなくてもよいのかもしれないと、無垢の軀ひとつで足跡の無い森へ進むことを思うより願うようなバイアスを抱え、とりあえず歩くのだ。
歩けばあたりは白い静謐が充ちていようと軀の代謝で血流や喘ぐ呼吸音が耳元に集まるからむしろ自らが騒々しい。だが夜の帳の無音の聾が森の中で軀を喪失するように再現されたなら、それは最早生きていない精霊の知覚だと思った。鼻腔から吸い込まれる樹々の呼気か季節の変化の兆しのような大気を肺に巡らせて、だから立ち止まって座ることなどしない。日の繰り返しの歩きの中では真綿の聾の中どこからともなく聴こえてくる語り部の声を想い、翌朝の歩みの軀の復活を願うようでもある。