「黒い犬」をまだ読み終えることができないのは、切迫感が睡眠を短くさせベッドでは数ページ捲って眠りに落ちる日を続けたからだが、サクラの開花を聴きつつ移動した後、気象のベクトルは幾度も翻り暦を遡行する気分となり、夕方になれば20℃も気温が下がることもあり、ようやくビックバンの逆転の世界縮小が知らぬうちに緩やかに始まった、人は土から生まれだす。そんな時間の逆流の錯覚も手伝った。娘の卒業式から随分と時間が経過しているのにまだ花は咲かない。長い春だと感じる。
数日前に写真愛好家が不思議な発光体を撮影した画像と記事を新聞で眺め、この気象だからと根拠の無い得心が即座に落ちた。再び移動の準備をしながら、ふとあたりを見回し室内の、乱れた書棚などを見やって、リニューアルをしなければいけない。昨日までの切迫とは違った脅迫めいた観念がまとわりつく。
両親が回覧板を二週かけて十三軒に巡らす際に、誰かが必ず回覧を遅らせる話を夕食時に話すので、それよりも情報の伝達にそんなに時間がかかって意味があるのかと尋ねると、否、隣近所の息災を確かめる意味もあるのよと、ご近所の、あそこにはこういう人がいる。いた。などという詳細を聞く羽目になり、多くの家はこちらと同様、成長期の新開地に家を建てた世代の息子や娘は家を出て、老いた夫婦や独り残った老人の住まう町となっているとまた、ゴーストタウンとはこういう成立もあるのだなと、声に出さずに喉元で転がしてから、母親の呟いた、ー私にとっては此処がふるさとだからーという言葉が、数時間後また耳の奥で聴こえた。