20年も前に亡くなった祖母が、みたこともない土地の遺跡のような場所の、白い白骨が露呈している石組みの窪みの並ぶ墓地の、そのひとつの凹みに座り込み、自らの身体にいきなり唐突に火をつけた。此処へは旅行にきているはずだった。取り乱した私は、祖母の両脇に手を差し込んで引き上げて火を消そうとするが、祖母はそれを強く嫌がって、「いいんだよ。もう先に逝かせておくれ」と言うのだった。
腰が抜けた私は、下半身が燃え上がる祖母をみつめたまま、私という活動が停止したようになり、燃える祖母が、全身くまなく燃えるように火種を身体に巡らす奇妙な仕草をずっとみつめていた。涙はでなかった。
目が醒めてから、墓参りを促されたかとまず緩く考えたが、あれは祖母が、祖母という記憶の塊が時間とともに成熟し、こちらの身体の現況に即して反射するように、死の覚悟と消滅そのものを諭してくれたのではないかと、その時は腑に落ちたのだった。
夢の中の祖母の奇妙な仕草には、自殺というニュアンスは、一切無かった。ひとつの身嗜みであり、誰にも止めることのできない決心であり、それを見守ることしか許されていない明晰さに充ちた、なにか瑞々しい仕草だった。
病死というより、寿命を全うした祖母は、全ての子供たちに見守られて、いうなれば安らかに死を迎えたのだったが、あの臨終の時は、母と子供という空間が、他を拒絶するように在った感触がこちらに残っており、子供である私の母親や叔父たちを、そういう意味でどこか羨望したのかもしれなかった。
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