指先や右足の皮膚が割れて痛み血がながれる。妻も同じ症状に、この季節悩まされる。体質的なものだが、痛みを訴える父親に、馬油を使ってみたらと塗らせるとなかなか効くけれども、完治するわけではない。母親のほらいまでも若々しいでしょと差し出す指は、抗癌剤服用時から、関節が固くなり、本人はそれを自ら認めないようにしている。実家の台所に立って料理をこしらえ、食器を洗うことを率先して、本人たちが怠惰にならぬ程度の頻度で、腰の高さと合っていない流しで背を丸め、野菜を刻み、フライパンやレンジの中身をせっせと洗って磨いていた。
陶器の食器はなるほど良くできたプロダクトで、落として割れないかぎり、使用年度による汚れは洗えば落ちる。火にかけるプライパンやアルミ鍋は、使うほどに焦げ付き、金属束子など使わざるを得ないので、表面は摩耗し傷だらけとなる。
妙なもので、何度か傷だらけのフライパンを使用の度に洗って汚れを磨き落としていると、その傷跡の残る清潔さといったようなものにうたれる。
砥石で磨く包丁も、丁寧に磨き込めば数十年充分に、そういう清潔さを維持して使うことができる。そうした清潔にみたされる生活環境というものは、なんともふくよかで充足したものだろうなと、傷だらけのiPodを袖口で拭きながら、自分の口に合っていたがいつの間にか紛失したレンゲを歩いて探し購入し、グラスを磨いて棚に仕舞おうなどと、車窓を眺めつつ考えた。
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