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	<title>pedestrian thoughts</title>
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	<description>script like a walk.</description>
	<lastBuildDate>Tue, 08 May 2012 08:38:17 +0000</lastBuildDate>
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		<title>複雑な色彩と春の意味</title>
		<description><![CDATA[上村から夏川（どこか辿るたびに胸に響く地名の）へ降り野村上の交差点を横切って牟礼西小学校の校門から本格的に鍬入れのはじまった田畑を左にみて真っすぐに走り飯綱病院脇を過ぎて線路下をくぐると約10キロ標高差500メートル先のスーパーマーケットに着く。 5月が春というほぼ半年の冬の場所であったこの地の山々の色彩が淡く白濁しているような概観とみるのは間違っていた。じつは顔料のような鮮明先鋭さの多様な芽吹きそれぞれを近寄って確かめてから離れてもそのままの微細さをもって地の大気と対峙し、少しばかりの上目遣いで見える飯縄山山頂に僅かに遺された残雪が地の春の短さを示す刻印となり、一気にさまざまを散乱して咲かす樹々は、新緑の手前、紺碧を透かして足下にグリーンの層を蓄えて深さを透明さに変えている。 そのまま同じ道を往復せずに国道を北上し信濃町に入ってから飯綱東高原と矢印のある方向へ左折し霊仙寺湖縁を回って上村へと戻る途中幾度か停車して車を降りせせらぎに手を入れればまだ酷く冷たい。やはり流れに残った石を拾って庭に並べようかと思いつつ、森の中に歩く人の仕草もむこうに見えて、やや歩き冬に落とされた枯れ枝から垂直に伸びている若い植物の群生をただ眺めた。 この季節を振り返ればここ数年は夏前と秋口に音響に耳を澄ましていたけれどもその音源のほとんどはは恣意のものであったが、4週から6週サイクルで恣意を削除する環境の静まりとしての音響と、思い切り選び抜いた恣意の海への没入を繰り返すようになっている。再びまた雨音の激しくなる前は、せいぜい辺りの色彩に応じた音だけに耳を澄ましてみようという気持ちになる。 5,6,7,8と4ヶ月で春と夏が混じりおそらく9,10の秋の後半年の冬なのだから、6月は春が雨で新緑へ変異する初夏の手前だから、5月だけが春なのだ。この短さの季節に何か意味深な理由があるように思えてならず、朝から夕までただただ歩き回りたい。]]></description>
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		<title>陽妄のみちとにわ</title>
		<description><![CDATA[朝方自らの仰向けの裸の胸から頬まで夥しい量の白い精を吹き出して果てる浅ましい夢をみて起き上がり現実であったらよかったなどと感じたものだ。 すっかり陽射しの柔らかい樹々も解れたような枝振りのみちを、夢を引き寄せて陰嚢が冷えれば精が生まれるわなとキンタマを冷やしたこともあった実感の日々を遠く憶いだしこんな季節はむしろ股の膨れを恥と知れなどという顔つきで善人ぶったのではないかとあれこれ些細な表情が浮かぶ。どうでもよいことだ。 樹々の小路で女を抱こうと考える男の行方はひとつきりの彼方が示されているか。つづけて性もないことを遊ばせつつ歩いてから戻った大雪で根元から折れてしまった庭の小さな樹に近づいて手を触れそうになり、どうにかできると思っていたのかいと触れずに離れた。 街に降りれば既に季節の盛りに慣れたような歩みの人ばかりだが、こちらはこの街に住まう軀ではなくなっている。高地では朝は気にならないが夕刻の風はまだ一気に冷えるので気を許せない。防腐剤が剥がれ敷いた木材も反り返って修復を待つ風情のテラスに立ち、まだ早い来月の連休明けから手をつけることに座り込んでから決めていた。 再び庭を眺めここふたつみっつの季節はあまり手を加えずに眺めるだけにしたいものだと付け加えた。]]></description>
		<link>http://hitonoyo.com/pedestrian_thoughts/?p=231</link>
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		<title>沢からの</title>
		<description><![CDATA[風がない朝は樹幹の上を移動する囀の交わりの南の下方から沢伝いを大気の気温の変化が連れて来るのか距離の遠さを持ったまま緩慢な靄のような淡さで下の村か街の動き始めた唸りの塊が聴こえるときがある。時間の変化で大気の動きの流れが変わり一旦静まって北に間近な山稜から別の気配が風の中上から流れ込むように広がって漂うものを払って別の空間を仕立てる。 場所によっては、目に見える数十メートル先の路肩でも此処とは違う音像を形成するのは、気象地勢と樹々の配置の他になにか別の要素があるように思えてならない。 囀が小さな肺の呼気とは思えない明晰な輪郭で林の中空に刺のように散らばって落ちる向こうのやや上空からジェットの音が聴こえると鳥たちは途端に黙りまた暫くするとおそるおそる刺を投げ、ある時に一斉に再び交わりがかき消える。 南北の窓を開け放ち目の前を粒子が流れゆくような気分でストーブを消して昼過ぎの数時間を過ごせる季節の展開となったと夕方2wdで走り回り明日は洗車しようと思った翌日には小粒の雪となり音も再び消えた。慌てる気持ちは太陽の角度が抑え込んだようでいかにも変節の潰れ方をするささやかな積雪を踏んでパーカーを頭に被って歩けば無音と思われた曲がり角の下から水の流れる音がひとつ透き通って聴こえる。]]></description>
		<link>http://hitonoyo.com/pedestrian_thoughts/?p=226</link>
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		<title>真綿の</title>
		<description><![CDATA[南北の窓を開けて寒かったがアラジンを足下に寄せ部屋の淀みを払うと鳥獣の物音が聴こえる。ストーブの上にのせたケトルの小さく沸騰する音が邪魔なのでシンクへ持っていき朝の弱いがざわめく息災の音響と冷気に身をひらく。 日が暮れると静寂というより無音という固形が大気を凍らせたか指先で擦りあわせる音も吸い込みまるで聾となるので、ラジオとか音楽やらを流していたがそれもやめるといちいちの動作の音の尻尾がかき消えるように細く消滅し、そのうちに音自体なくなったような体感のままベッドで本など捲ると朗々と文字が音を奏でる。その語りにどこか耳を傾け、ああこれは読書ではなく聴いていると何度か思った。だから聴こえとして駄目な文体のものは閉じてしまう。無音の囁きに慣れてしまうと朝のラジオなどのパーソナリティーが喋る口語の相槌のようなものが気に障り、2010年9月27日から2011年3月25日までの放送のほとんどを録画して今でも時折眺めている新漢詩紀行のナレーターをつとめた松岡洋子 (1954~) の声がそもそも夜中の囁きの主だったので、抑制と親和の適度に平安の声と言葉の抑揚をもたらす端正な言葉の綴りを別に求める理由となる。 よく見えているという実感をレンズの力を借りて行うことを続けているせいか、実はよく見えていない実際の目玉の不具合は当に諦めているところがあり、故に繰り返し見ることの知覚への揺り戻しのような探索は、日課というより戒めとなっているが、環境が変わるとこうもその戒めの抑圧感が払拭されるのかと小さく何度も魂消る時があり、転じて環境下では見えるより感じる軀の他の知覚機能が活性化されるのでよく見えなくてもよいのかもしれないと、無垢の軀ひとつで足跡の無い森へ進むことを思うより願うようなバイアスを抱え、とりあえず歩くのだ。 歩けばあたりは白い静謐が充ちていようと軀の代謝で血流や喘ぐ呼吸音が耳元に集まるからむしろ自らが騒々しい。だが夜の帳の無音の聾が森の中で軀を喪失するように再現されたなら、それは最早生きていない精霊の知覚だと思った。鼻腔から吸い込まれる樹々の呼気か季節の変化の兆しのような大気を肺に巡らせて、だから立ち止まって座ることなどしない。日の繰り返しの歩きの中では真綿の聾の中どこからともなく聴こえてくる語り部の声を想い、翌朝の歩みの軀の復活を願うようでもある。]]></description>
		<link>http://hitonoyo.com/pedestrian_thoughts/?p=212</link>
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		<title>枝の自明</title>
		<description><![CDATA[葬儀に駆けつけた札幌の叔父から日々10キロを2時間かけ歩みも入れて走っていると聞き、齢70を超えた超人のような大人の躯よりも、その鍛えの持続を決定する精神の強靭を思った。 吹雪でも走ることで飯の量も押さえられ酒はワインだけだという。躯が走ることを日常の食事のようなリズムで要求する。 積もった雪道を走ると1キロも進まないうちに足の甲に雪が盛り上がる。日差しのある真昼ならばそれも苦にならないが、大気が冷えた時刻では素手が凍りつくことを知り、時には滑って転んだ。緩い雪だから平気だと顔面に吹き当たることを続ければ鼻の先が赤くなった。それを理由の億劫に任せて歩くだけでもということも放り投げ、温々と足の先をストーブに突き出すように椅子に座りそろそろ走る時間だと弱く躯がもの申しても本等捲って日を過ごしてしまっていた。雪かきの労働や買い物などの理由もあった外へ躯を晒す度に、それでも多少歩いて走った。 なるほど躯と精神は、上等な入れ物と内容物ではないのだ。いい歳になってそんなことと呆れたのは、不十分な仕立ての凍り付く白い歩みの中、見上げた枝振りを意味も無く凝視して、枝の思想というものもある。走り出してから、こちらに戻ってくるブーメランみたいな恣意だぜ。顔面だけ上気してつぶやいた後、躯かココロかどちらかに成り果てるってのは最早この歳ではできないか。と重ねたときだった。入れ物を疑うような内容物が沸騰したり傾いて溢れるわけだから仕方ない。部屋に戻って「枝の思想」と紙に記し、自らの枝ばかりへカメラを向けたものをみつめると、見上げた際に明瞭に形態が浮き上がるヒトの頤に気づき、その枝が自明であるならば、それでしかないのならば、ただこの頤の角度の率直だけが露になる思想とも言えると考えた。]]></description>
		<link>http://hitonoyo.com/pedestrian_thoughts/?p=207</link>
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		<title>枝の白冬</title>
		<description><![CDATA[袖をめくり青い静脈が葉緑素と念われた積雪の路で細い枝をその上に重ねた。 26.5センチの長靴は寒冷地の仕様だったが幾度も雪かきをしていたので素足には冷たく濡れていた。 枝を握ったまま歩きはじめ時おり樹々に残ったものが白い粉末となって落ちる音を振り返って追い、進んで立ち止まる。 大気圏のような澄み切っている樹間から随分遠くをみつめることができるので、みることをレンズとシャッターの仕組みのように絞りの頭に変えてみようとするのだが、ーあぁ単によくみえるーという吸着から離れることができない。 足元の音をすくって記録して、一瞬の眺めを凍結して持ち帰り、さっきへというタイムトラベルをはじめると、その捜査の姿勢は時間と場所を突き抜けてありもしない静的な何かこの世でないような傾いて凍った類現実への熱中のかたちとなり、片隅のぼやけた樹木の埋まり込んだ積雪から、黒く筋汚れた白い片足を更に探す只管が生じる。この瞬間わたしは犯罪者であるのかもしれない。彼の鼓動を物真似しているなとも感じる。音はと聞けば然程遠くないゲレンデの浅ましいリズムが光景の凍結の度合いを高める濁点のように弱く風の強弱で重なる。 背をのばしてシンクに向かい湯を沸かし餅の残りで雑煮でもつくろう。]]></description>
		<link>http://hitonoyo.com/pedestrian_thoughts/?p=198</link>
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		<title>諦めの縁で</title>
		<description><![CDATA[距離を拡張しようと考えた翌日の早朝に走ると、はじめてこれまでの五分の一の距離で心が割れて家に戻り歩いていた。 その項垂れた徒歩の脱力の中でなんでこんなことになったかなどという理由を考える気持も浮かばなかったが、ふと横を眺めその光景をひとつも描写していないといきなり痛切に感じるのだった。 振り返れば、自らが決定を繰り返し、決心を繰り返し、迷いを露呈し、つまり、「わたしはどうしたこうした」ばかりであり、それが唯一の現実だと思って、今日の飴は甘いとかいったことしか残していない。冷や汗が流れる。あの樹々に囲まれた窪地に立つ二人か三人の男の歩みの図形の中で彼らが何を語り返し、あるいはどこへ向かうかを構想しなければいけないと、すっかり走りなど忘れた表情でパスタを茹で始めた。 一昨日に、「存在の気配を消す男」を妄想し、彼は病気などせず事故にも遭わず罪も犯さず淡々と延々と生きるのだが、その痕跡がまるで世界からかき消えることを自ら欲望に捉える男の、寡黙な丸く座ったシルエットが浮かぶのだったが、それを記述する術が見当たらない。 そしてふと、術はデバイステクノロジーのような外部性によってしかもたされないと、再び走りながら撮影できるカメラやらの準備を始める。]]></description>
		<link>http://hitonoyo.com/pedestrian_thoughts/?p=195</link>
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		<title>枝騒ぐ背上ノ空</title>
		<description><![CDATA[ーマツ科樹木は他の植物の生長を阻害する物質を産生している。カラマツの葉にもそれら生長阻害物質が含まれていることが分かっており、その葉を秋期に散らすことで競争相手となる周辺植物の 生長を阻害していると考えられている。カラマツの落葉を人為的に耕地土壌に混和することで、雑草の発生や生長を抑制することができる。ー 帯広畜産大学地域連携推進センター、秋本正博氏のカラマツの落葉を利用した有機的雑草防除法を辿り、路肩の落葉が部分的に採集された痕跡の理由にひとつうなづいた。 水平から上り坂を一度加えて後は下り、走り始めた付近に戻るまでは上り続け、後は上りと下りが交互に挟まるコの字の路を左右東西に走るルートが継続には今のところよろしいと気に入って、稀に調子がよければ最初の長い上りの終わりまで走りきるが、途中で顎をあげ腰を曲げた膝にまっすぐ両手を落し腹から上を支えて地面に唾を吐き、背中を上下させるのが常だが、そのいかにも柔な風体も抑制され、惨めなような表情も緩和され、再走までのインターバルが短くはなった。 北部は強風に注意というラジオ予報を聞いてから外に出たので、高い唐松の上部が虚空の箒のような振幅で騒ぎ踊り、上から路面へ吹き下ろして渦巻きあがる広葉樹の落葉が舞っても、振り返ってその動きを眺め仰いでも、代謝の高まった軀の精神には健やかな空間の動きとみえた。 ひとつの定住者の家の前の路が奇麗に掃かれて両脇の溝までが掃除されていて、定住の季節の弁えが現れていると、その意味を考えたが、積雪や凍結に繋げるところで思考を断って走りすぎた。定住の家と別荘扱いの家屋の場所と差異を認識の地図に刻んだけれども、定住の弁えには様々な現れがあるが、その工夫を探るような侵入者の目つきで歩くことも憚れたので、家屋の前はできるだけ走り、樹々の間で呼気を整えるような知らぬうちに反復する作法のような自身の仕草に、どこか姑息を抱いた。]]></description>
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		<title>雨の残り香</title>
		<description><![CDATA[この辺りを行き来する程度の数の車の轍で路肩に寄せられた唐松の落葉はこんもりふっくらと盛り上がり足首に優しい。蹴散らす気分にはなれない。真直ぐに突き抜ける通りの辻を曲がる度にコの字の路が左右に広がるこの保養林の中はアスファルトも全て隠す絨毯となって昨夜まで降った雨でも流されずに、しっとりと存在の理由を内に籠らせて香りを放ち膝から腰、腹の内側から胸へと昇りあがる、例えようの無い体感となって吸い込まれる。 走りははじめてほぼ一ヶ月過ぎたか。雨の日は無理をしなかったがそれでも続いている。数メートルの堪えの延長を亀の走りで楽しむようになり、十日過ぎても足下の数メートル先を俯きながら睨み苦しげにどたどたしていたけれどもようやく、顎をあげあたりへ首を回す余裕もでたか。数日前から三丁目から上り回るコースを拡張し、一丁目へと一端戻り降りて迂回しそこから駆け上がる距離の延長をしたが、路地によっては永住していない家々の並ぶ場所もあり、車の入った痕跡もないので、アスファルトは他よりも上等な厚さの絨毯となっていて、走り草臥れてはいないけれどもと座り込み手のひらで撫でていた。 暖房と湯槽で躯を温め根を詰める夜が数日あったが、週末明けてみれば晴れ上がった快晴の朝陽の放射が、あっさりと気温を上げ、部屋のストーブが時期尚早の後ろめたさで色あせた。そんな季節なので窓を全て開け、日差しが森の湿り気を蒸発させる残り香を吸い込む仕立てとし洗濯物を干す。 晴れの日が二日三日続いてくれれば良いが、森の乾燥を早めることは一気に冬へ持って行かれそうで少々惜しい。]]></description>
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		<title>落葉拾い</title>
		<description><![CDATA[早朝走りながら、おそらくまだ暗いうちに吹き下ろした風の地を這うように通り抜けた形が地面に波形に残っている落葉の加減と場所を記憶した。 走り戻ってから、缶箱と箒を持って、溜まり落ちた針の葉を集めては広葉樹の落葉を除いて箱に入れ、再び記憶の波形を辿って、座り込み繰り返す。獣の体毛かもしれないような儚いものだから一向に箱はいっぱいにならないが、それでよかった。また日を変えて拾えばいい。 浜辺の貝殻拾いと同じだなと、シンクの上の皿にひとつかみ乗せて、落ちてから暫く地と馴染み時間の経過した色の黒いものと落ちたばかりのものを比較すると、やはり落ちたばかりがよろしい。 火をつけて燃やしてしまいたい欲望がぱっと散ったけれども、いずれなと今は我慢する。 ふと鉱物の上に幾度かふりかけて形を探ると、これで酒が呑めるなと感じ入る。]]></description>
		<link>http://hitonoyo.com/pedestrian_thoughts/?p=175</link>
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