April 2010アーカイブ

庭の部屋

 屋根が、天井があったかどうかわからない。床は草の生えた地面だが、誰もそれが不自然であると思ってはいなかった。西側の壁は石でできており、そこに3メートル四方で、おそらく黒い炭化ケイ素の粒子が塗り付けられている。知っている友人が途中だがと振り返って、中央が塗り残された壁面を指差したが、こちらはここに塗りつけろと指図した憶えがなかった。

 庭の部屋の中央に、南から北にむけて古ぼけたもの干し竿のようなものがあり、それをまず取り外した。それから雑草を毟り、半分土に埋もれたテラコッタの鉢を取り出し、壁の内側を片付ける。どうやら、ここが展示会場であるらしかった。

 友人の塗り付けた壁面の炭化ケイ素を、これはやめると鉄ベラを使って削ぎ落としはじめると、シャンパングラスを片手にした見知らぬ人が、ドアを開けて次々に入ってくる。ふたたび地面を見下ろして、どうにもできない岩もあったが、何もなくなったことに、とにかくほっとしていた。

 肉体から汗が流れ上腕が痺れたようだった。誰かに汚れたものを着替えるように促され、ドアの向こう側に連れ出されるとそこは、いたって通常の、空調が効いた建築物で天井も照明もあり、床も固い水平面に人の姿が映り込むように磨かれている。ここで振り返りあの庭の部屋だけが、異様な恣意の空間だ。どうやらヨーロッパのどこかのミュージアムだと、記憶を喪失したことに馴染みがあるような気楽さで気づいた。

長春

 「黒い犬」をまだ読み終えることができないのは、切迫感が睡眠を短くさせベッドでは数ページ捲って眠りに落ちる日を続けたからだが、サクラの開花を聴きつつ移動した後、気象のベクトルは幾度も翻り暦を遡行する気分となり、夕方になれば20℃も気温が下がることもあり、ようやくビックバンの逆転の世界縮小が知らぬうちに緩やかに始まった、人は土から生まれだす。そんな時間の逆流の錯覚も手伝った。娘の卒業式から随分と時間が経過しているのにまだ花は咲かない。長い春だと感じる。

 数日前に写真愛好家が不思議な発光体を撮影した画像と記事を新聞で眺め、この気象だからと根拠の無い得心が即座に落ちた。再び移動の準備をしながら、ふとあたりを見回し室内の、乱れた書棚などを見やって、リニューアルをしなければいけない。昨日までの切迫とは違った脅迫めいた観念がまとわりつく。

 両親が回覧板を二週かけて十三軒に巡らす際に、誰かが必ず回覧を遅らせる話を夕食時に話すので、それよりも情報の伝達にそんなに時間がかかって意味があるのかと尋ねると、否、隣近所の息災を確かめる意味もあるのよと、ご近所の、あそこにはこういう人がいる。いた。などという詳細を聞く羽目になり、多くの家はこちらと同様、成長期の新開地に家を建てた世代の息子や娘は家を出て、老いた夫婦や独り残った老人の住まう町となっているとまた、ゴーストタウンとはこういう成立もあるのだなと、声に出さずに喉元で転がしてから、母親の呟いた、ー私にとっては此処がふるさとだからーという言葉が、数時間後また耳の奥で聴こえた。